著作権の問題(加筆3校正2) [状況と歴史]

上の画像は、葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」という作品です。
このような日本の名画の画像を、
このようなブログで使用する場合の著作権の問題があります。
私の立場は、非商業的な学術的な使用は、
個人の使用権として合法であると考える立場をとっています。
そして画像を大きく使用することが、日本文化の啓蒙に取って有益で、
公共の利益に合致すると考えます。
私のブログに対する著作権違反を非難する方々の、お気持ちは理解
できますが、私は、私なりに自覚して使用しているのです。
非難そのものを封じる気持ちは私にはありませんが、
いわゆる炎上問題は、幾つもの他の例があって、
ここにおける悪意の存在は、普通の議論の応対では意味が無い事が
多くの事例で明らかになっています。
つまりこの著作権を巡る応酬は、具体的な著作権の所有者との対応は
致しますが、それ以外の方々との空論は意味が無いと考えます。
たとえばDVDなどで映画を見る場合にも
「営利目的の上映」を禁止する警告を出しているのであって、
私的非営利の上映は可能です。
つまりこのブログは有料サイトとではなくて、
非営利的な無料サイトで、私的はものですから、
人類史的な遺産である芸術作品の画像の非営利的な使用は、
すべての人間の権利であると考えています。
私のブログには、さまざまな画像が使用されているので、
したがって問題は複雑ではあります。
それは一概に古典美術の画像とは同一ではないので、
おのおのの画像ごとの判断が要求されます。
基本としては、ネット上に流通している画像を使って来ています。
つまり公開され社会化され、共有化、公共化された画像です。
ただし『空想皇居美術館』このブログで扱う場合、
美術全集の画像をスキャンして使う場合もあるので、
この場合には、出版社との著作権上のトラブルの発生が考えられます。
しかしこの危険を犯しても、私はこのブログで、
日本美術の《超一流》の作品画像を掲載して行くつもりです。
つまりここでも画像の私的使用であり、非営利的な無料サイトでの
使用は、日本文化の啓蒙普及にとって意味があるのであって、
公共の利益に合致していると考える立場です。
「他人が著作者の許諾なしに無断で出版、映画化、翻訳した場合には、
著作権を侵害することになる」のですが、ブログでの使用は「出版」とは
同一であるとは考えられないと言う立場を、彦坂尚嘉は取ります。
同様に「映画化」でも無いと考えます。
大きな相違点は、有料の販売では無いという事です。
もちろん私のように考えない考え方も有るので、私の主張が
認められない事態はあり得ます。
著作権について、知的所有権が変化するのは1975年のアメリカの
ベトナム戦争敗戦後の変化の中で、アメリカの戦略として組み上げら
てきます。
一方、アメリカのヒッピー文化の流れから、
文化そのものを共有しようとする非営利の流れが
パーソナルコンピューター、インタネットなどで果敢に展開されて、
著作権を巡る考えのぶつかり合いは複雑を極めます。
それはシミュレーショニズムの作品となって、これも多くの裁判
を伴いつつ、複雑なありようを示してきています。その複雑さは、
iPodの出現で、CDのコピー防止装置が無化したところにも見られます。
ふるくはアンディ・ウォーホルから、現在のジェフ・クーズなど
も著作権を巡る裁判を経験してきています。
日本でも木村恒久や、マッド・アマノなどの著作権裁判は
あって、私自身は、この複雑な状況を自覚しています。
このブログでも、著作権者からの抗議がある場合に、
画像をダウンさせて来ている実例はあります。
ひとつは時事通信社の画像であり、
他のものは作家の作品写真です。
時事通信社の韓国戦車の画像でしたが、抗議を受けて、
著作権者の意思を認めて、すぐに画像を削除して、
他の同様の戦車画像に取り替えました。
マキイマサルファインアーツでの白濱雅也さん企画のグループ展を
批評した時に、作家本人からの希望があって、画像をダウンさせています。
この作家の場合には、あまり有名な作家ではなかったので、
つまり私の批評そのものに、それほど大きな公的利益を生じないと
私が了解したのです。つまり有名なアーティストの場合には、
社会的公的な義務がありますが、無名の作家の場合には私人に
過ぎないと考える立場だからです。
著書を有する有名人を批評する事は、公共の利益になると彦坂尚嘉
は考えます。六法全書においても、名誉毀損と言論の自由は、
矛盾している領域である事が明示されていて、批評の自由が許されるのは
公共の利益性がある場合です。私なりに六法全書は読んでいます。
こうしたことを彦坂尚嘉は自覚していて、
名誉毀損にならないように、彦坂なりに注意して書いています。
だからといって、いつか地雷を踏むだろうと、覚悟はしています。
人相分析に関して怒る人の気持ちは理解できますが、
人間の顔には、その人の人格の構造が現れます。
社会的に影響の大きな人には、人格的にも責任があると、彦坂尚嘉
は考えるので、社会的に無名人の顔の分析については、
ブログに書いていないつもりです。
ですので、著作権を有する人物や、名誉を傷つけられたと判断なさる
当事者からの抗議には誠実に対応いたします。
また、必要があれば、裁判を受けて立つ覚悟です。
それは仮に負けたとしても、文化の非営利的な共有使用の拡大を
主張する事が、私の表現者/言論人としての使命だと考えるからです。
そしてまた、言論の自由と、批評の自由を、死ぬ覚悟で追求
します。
生前の山田幸司さんに関連するブログでも書いていますように、
言論の自由や、表現の自由を追求する事は、極めて危険な事です。
死ぬ覚悟が無いと、例えば『空想 皇居美術館』のような企画は、
10年間も追求できません。「右翼に刺されるぞ!」という脅しは何度
でも聞かされています。刺されてもなお、無意味に過ぎなくても、
私は芸術の探究を社会事象を介して続けるのです。それが一方で
時代遅れである事は知っているのですが・・・・。
まあ、宮本武蔵のようなものです。
最後は金峰山にある霊巌洞で孤独に死ぬのでしょうか?
まあ、もっと無惨に、惨めに
かっこ悪く死ぬでしょうね。
「人の不幸は密の味」ですから、彦坂尚嘉の死が、
彦坂を嫌いな多くの人々に喜びを与えられるのではないかと、
思っています。
これもまた、ニーチェが言う《贈与の徳》ではないでしょうか。
彦坂尚嘉/hiko@ja2.so-net.ne.jp













