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『1円オークション』の開始

一円オークション(額縁シルバー)ブログ2.jpg

さて、たいへん遅れてしまったので、
とにかく「1円オークション」を始めます。
上の額装をしている作品が、メイン作品です。

経緯から話しますと、山本藍子さんがレースを使っていて、
それに関連していくつかの企画を出したのですが、
山本藍子さんは描く事を執着して、生のレースをそのまま使う
作品や、レースの画像を直接に使うという提案は
受けつけませんでした。

描く事に執着するのは、画家としては当然なのですが、
デュシャン以降の現代美術の中では、レディメイドの使用もまた
重要な手法なのです。

つまり「」と「画像のレース」と、「描かれたレース」
の相対的な関係が、現代美術の視点では重要なのです。

現実のレース
写真画像のレース
描かれたレース

山本藍子さん自身は、日本画出身の美術教養の中にいるので、
人生を生きているのはこうした相対性の組み立ての中にいるのにも
かかわらず、
手で描く事の意味の中に埋没して行くのです。
それが画家であると言えます。

しかし糸崎公朗さんと、みなさんに理解して欲しいのは、
山本藍子が描いているのはレースではないのです。
つまり山本藍子は「装飾」を描いているのではないのです。
このことは、冷凍の豚を買って来て、目の前に置いて描いている
事実からも推理できる事です。

あのような絵画を描くのに、何故に実物の豚の肉が必要なのか?

いや、本当に必要で山本藍子が見つめているのは、
冷凍の豚の頭ではないのです。

つまり眼に見える現実の後ろに、眼には見えない領域があって、
目に見えないものを描いているのが、絵画なのです。
それが芸術である事を成立させて行くのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私の方は、描く事を放棄はしませんが、
描かなくても、目に見えるものの外は示しえると思います。
つまり写真画像やCGでも、レディメードオブジェであろうと、
目に見えるものの外部を指し得るのです。

さらにそこに言語を入れなければなりません。

         レース編み

       Lace
         
         

美術というのは。目に見えるののの外部を示す事であって、
目に見えるものをつくることこと(メーキング・イメージ)
描く事だけに意味を見いだす価値観の外に出ています。

Laceという言葉を詩のレベルで使えば、
指し示しているのは、手芸のレース編みという言葉が生み出す、
別の連鎖なのです。
それをラカンは、シニフィアン(記号表現)連鎖と強調したのです。

今日の表現ではラカンの主張とは逆に、シニフィエ(記号内容)連鎖を
考えなければなりません。
どちらにしても、レースという言葉が示すのは、
レースという言葉の指し示す内部と同時に、外部なのです。

つまり美術というのは、視覚的なものですから、
視覚の外部を作る事なのです。
           
                    手描き絵画
          レディメード・オブジェ
             写真/CG画像
               言語




さてそこで、私はまずレースを直にキャンバスに張りつける作品を
作っています。




彦坂尚嘉がつくったのですが、それで興奮しました。
1968年ころに彦坂がニマリズムの影響を受けてやっていた仕事に
良く似ていて、興奮したのです。

つまり彦坂のデビュー作品のウッドペインティングに至るプロセスに
やだ布を張っただけの作品があったのですが、
この初心に回帰するものがあって、
このレースの作品をやろうと思ったのです。

それに関連して、レースの画像をつかった紙の作品を作ったのです。
実はこの出力画像の仕事も、高校の時に作っていた木版画詩集、
そしてバリケードの中で一人でつくった美術家共闘会議の
シルクスクリーンのポスターからはじまって、
そうしたグラフィック性のある作品も執拗に制作を続けています。

岡部版画工房や、ギャラリームカイの工房、エディションワークス、
などの版画工房での版画集の出版、
さらにアートバイゼロックスでも、5年にわたって執拗に制作をつづけて
来ています。

しかし私のこうした作品は不評か、無視されることが続いていて、
その意味では孤独な歩みを続けています。
大げさな被害妄想の愚痴に過ぎないのですが、
それでも今回も執拗に制作しているのは、私は好きなのです。

コンピューターを使って、顔料系のインクでの出力と、
手描きのドローイングを組み合わせた作品に、
私は江戸時代の浮世絵の伝統の今日的な復活の夢を見るのです。

つまり貧乏人のための鑑賞芸術の成立です。
実際には今日のグラフィックな表現の氾濫の中で、私の夢などは、
観念的な時代錯誤に過ぎなくて、何の意味も影響も持ち得ないものに
過ぎません。

昨日、立教大学大学院の授業では森山大道を取り上げて、
改めて写真集を何冊か見ましたが、
私が追求する鑑賞構造性を持った表現ではなくて、
私の眼からは退屈でつまらない作品に過ぎないのです。

私が面白いと思う《原芸術》性をもった鑑賞芸術構造のある作品は、
今日では多くの人がつまらなくて、理解が出来ないようなのです。
私がおいかける微細な質の変化も、多くの人が見えない様です。
昨日も立教の学生に



それを「1円オークション/毎日オークション」の最初にやりたいと
思います。

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hikosaka《Race2/21次元》 ブログ.jpg

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hikosaka 《Race2第6次元》緑.jpg

hikosaka《Race2第6次元 》赤紫ブログ.jpg

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hikosaka《第6次元》黄緑ブログ.jpg


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