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『アートの格付け』をコントラスト操作の比喩で見る(改題1改稿加筆3画像追加複数2) [アート論]

草間nara《形骸》61の2.jpg草間nara《6流》.jpg




彦坂さま
御説拝聴いたしました。
それでは奈良の6流の画像もPCによるコントラスト調整で、超一流になるのですね。
しかし、これはいくらなんでも単純化しすぎではないでしょうか?
図式的にすぎますので、読者を馬鹿にしていることになります。
わかりやすすぎてつまらない。
今後はもう少しわかりにくく解説してくださることを期待いたします。 
by kasiko (2010-01-29 12:24)  


kasiko様
コメントありがとうございます。
おっしゃるように「奈良の6流の画像もPCによるコントラスト調整で、超一流になる」というのは、確かに単純化しすぎていて、バカバカしい話です。

私の言っているのは、そういう事ではありません。
現実に、科学の中ではさまざまな実験が行われていて、
地震のシミュレーションでも、単純化した模型での実験が行われ、
それと、現実の事象が照合されて、問題の追及が単純へ向けてなされています。

たぶん kasikoさんは、科学をあまりお勉強なさらなかったのだろうと思います。
科学というのは、単純なのです。
万有引力も、複雑系科学も、極めて単純です。
複雑な怪物曲線を、いかに単純な原理で描きえるのか?
というのがフラクタル数学です。
真理は単純なのです。

禅宗で言う「空」とか「無」というのも、
深い意味はなくて、
雲ひとつ無い青空のような状態であって、
極めて単純で直裁です。

真理は単純であるのです。

それは哲学も同様です。
ソクラテスの無知の知というのも、極めて単純です。
デカルトのコギトというのも、単純です。
フロイトのストレス理論も極めて単純です。
ジャック・ラカンの鏡像理論も単純です。

単純な真理であるが故に、多くの人々が怒ってきたのです。
多くの人々は、単純な真理を憎悪するのです。

何故か?
人生は複雑であるからです。
生きる事は、極めてむずかしく、複雑なのです。
しかし、誰もが死ぬ。
その死という到達点は単純で、平等です。

人々は、《死》の単純さが嫌いなのです。
だから単純な理論に、《死》を見るのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

美術作品においても、学問の研究の方法があって、
そうすることで、制作に於ける格の変化を単純化して問題にしうるのです。

実際に《気派》のメーリングリストの中で、
私は松山賢さんの作品で、
作品を自己摸倣した時に《第8次元 信仰領域》に転落すると
予想を言って、そうなったので、
その作品画像で芸術分析をしたのですが、
松山賢さんは、怒って出て行ってしまいました。

投稿者:   彦坂尚嘉 <hiko@ja2.so-net.ne.jp
Date:  2006年5月12日(金) 午前1時20分
タイトル:  松山賢さんの再制作

富井玲子様
みなさま

松山賢さんの個展が次週の月曜日からギャラリー手で開かれますが、
そこに出品される作品の中に、再制作があります。

図版を添付したので、オリジナルと比較してください。

$B2V$HF0J*!J%*%j%8%J%k!K(J.jpg

オリジナル作品

$B2V$HF0J*!J-F@)-n!K(J*.jpg

再制作作品


松山賢再制作の2枚.jpg
再制作作品 《8流》        オリジナル作品 《2流》

あくまでも画像図版でですが、
各々を彦坂尚嘉の「アートの格付け」をしてみると次のようになります。

オリジナル・《1流》の《2流》の《1流》


再制作・《8流》の《8流》の《8流》


《1流》は常識です。 、《2流》は技術
《3流》はポップス、《8流》は信仰の領域です。



………………………………………………………

果たして実物を見るとどうなのか?

楽しみにしています。


彦坂尚嘉

私自身は、再制作や、複数制作は、避けがたい問題であると
思っています。
その時に起こる《第8次元 信仰領域》化という現象を観測していて、
それをどのように、回避して、
クオリティコントロールをなし得るのかというのが、
制作上重要な問題であったのです。

松山賢さんの作品をおとしめるのが目的ではなくて、
あくまでも、研究して、解決がしたかったのです。

しかし松山賢さんは、学者ではなかったのです。

ですから、私はあくまでも実際の作品制作に起こる問題を、
Photoshopの画像操作でシミュレーションして、
問題点を明らかにしようという学問的な試みです。

しかもその背景には、近代の単純系モダニズムから、
ポスト・モダンの、複雑系モデルネへの移行が存在しているのです。


つまり「大きな物語」の成立していた近代では、
投射モデルが成立していて、
私たちの意識に写る表層的な差異の向こう側に、
究極の単一の真理=「大きな物語」が存在していたのです。 

それが崩れたのです。

つまり単一の「大きな物語」は、多数の小さな物語に分裂してしまった。
彦坂尚嘉の『アートの格付け』では、
それが《超次元 超越領域》から《第41次元 戦争領域》までの
カースト制度のような階層構造になった深層構造が存在している
と把握しているのです。

このカースト制度を嫌う人がたくさんいるのは、知っています。
しかし、現実には、この世界は平等ではなく、階層化しているのです。

金持ちと貧乏人では、食べる食事も、着る衣服も、
住む家の《格》も、違うのです。
この世界は不平等なカースト制度があるのです。
世界と歴史は、新・中世という暗黒の世界に雪崩落ちて行って
いるのです。

彦坂尚嘉の場合には、それをあくまでも《言語判定法》という
方法による観測で、探し、提示しているのであって、
この新カースト構造は、自分勝手に作ったものではありません。

それは色票に似ています。
私自身が使っていますが「マンセル色票」のように、
現実を採取して色票を形成している色票と、
オストワルト色票」のように、観念的につくった色票の2種類が
あります。
オストワルト色票ですと、実際には存在しない色彩も
入っているのです。

彦坂尚嘉の42段階の『アートの格付け』は、オストワルト型では
ありません。
彦坂尚嘉の場合には、マンセルのように、あくまでも観測による
採取からの類推で、作っているので、
新しい事実や、
間違いに気づくという事態の中で、
変化して行きます。

マンセル色票も、観測技術の発展の中で修正されているのです。
現在採用されているJIS規格の色票は『修正マンセル』であります。

さて、まず、具体的に奈良美智の作品をネット上から、
任意にひとつ選んで見てみましょう。

nara.jpg

オリジナル画像 奈良美智作品

《第6次元》

nara《1流》.jpg

コントラストを11上げた改竄画像

コントラストを11上げてつくった改竄画像です。

この改竄は、あくまでも芸術を論じるための学問のためであって、
営利目的や、奈良美智氏の作品を、不当に卑しめるための犯罪行為ではありません。
あくまでも、芸術や美術の秘密を明らかにする芸術分析の作業であることを、
お断りして、奈良美智氏へのご理解を求めるものです。

さて、コントラストを11上げると、
原画の《第6次元 自然領域》という彦坂尚嘉責任の『アートの格付け』が、
《第1次元 社会的理性領域》の作品に変貌しました。

たかが、コントラストが少し変わっただけで、同じ奈良美智の作品
であって、何も変わらないと、考える方々は多いと思います。
無理もないことです。


芸術上では、この《第6次元》から《第1次元》への変化という事が、
極めて重要です。

nara《6流》《1流》.jpg

奈良美智オリジナル《第6次元 自然領域》                《第1次元 社会的理性領域》

 
この2枚の画像を、同じで、差が無いと、感じる人々がいます。
多くの人は、実は微細な差を見分けられません。

こまかい差を見分けることが、才能であり、技術なのです。

つまり、こまかい差を見分けられる訓練というものが必要です。
自動車の運転を習うように、些細な変化を見えわける眼の訓練が
必要なのです。

「ひよこ」のオスとメスを見分けるような、眼のこまかさです。

眼のこまかさや、デリケートなものの見分けの問題は、
レオナルド・ダ・ヴィンチが提出しています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの最初の絵画は、
先生のアンドレア・デル・ヴェロッキオと一緒に描いたものです。

baptism190.jpg

先生よりも、デリケートさで圧倒して、
アンドレア・デル・ヴェロッキオはこれ以降筆を折っています。
つまりレオナルド・ダ・ヴィンチの才能のひとつは、
細かいデリケートさなのです。

baptismレオナルド・ダ・ヴィンチのコピー.jpg
ヴェロッキオ         ダ・ヴィンチ

ですから私たちも、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、
デリケートにものを、見分けなければなりません。

nara《6流》《1流》.jpg

この2枚を見ても、同じに見える人というのは、
この画像を《外部》から見ているのです。
つまり違うイラストとの差から見てしまって、
2枚のコントラストの差だけの画像の意味の変化を見ることが出来ないのです。
この2枚の画像の差だけを見る《外部の眼》が、
彦坂尚嘉が言うところの《外部の眼=シニフィエ連鎖》です。

奈良《6流》2枚.jpg

この2枚の違う画像の違いを見分ける眼が《外部の眼=シニフィエ連鎖》

それに対して、同じ画像の2枚のこまかい微細でデリケートな差を見分ける事を、
彦坂尚嘉的な意味での《内部の眼=シニフィアン連鎖》と言います。

この用法は、ラカンの使う「シニフィアン連鎖」とは違います。
そしてラカンは、彦坂が使う「シニフィエ連鎖」という言葉は、
使っていないはずです(ラカン文献学の専門家のご意見をお聞きしたく思います。)


奈良《6流》《1流》2.jpg
この2枚の同じ画像の違いを見分ける眼が《内部の眼=シニフィアン連鎖》


つまり2枚の画像といった時に、
2枚の違う画像を見分ける《外部の眼=シニフィエ連鎖》と、
同じ画像の2枚の差を見分ける《内部の眼=シニフィアン連鎖》の2種類が
あります。

彦坂尚嘉の『アートの格付け』というのは、
実は、この微細な《内部の眼=シニフィアン連鎖》から、
深層構造のカースト制度のような階層構造を見て行こうと言う
ものなのです。

最近は、さらに
芸術の問題を、その内部から、さらに外部の眼までの関係を見ることを
試みています。

《外部の眼=シニフィエ連鎖》までも
とらえる努力をして来ているのです。

細かい分析をすると煩雑になっていくので、
今は、とりあえず、簡単に全体を見て行きます。



nara《超1流》.jpg

コントラストを21上げた画像

作品は《超次元》の《超1流》に変貌しました。

さて、コントラストを21上げると《超1流》《超次元》が
出現して来ます。
こういう単純なコントラストのアップによって、
変化を見ようとしている方法は、フロイトのストレス理論の単純さを、
見習っているところがあります。

つまりコントラストを上げるという事は、
あくまっでも比喩ですが、強いストレスの蓄積に
耐えられるという事です。

マラソン選手が、苦しみに耐えながら走る選手と
苦しみに耐えられないで脱落する選手がいますが、
苦しみに耐えられる選手が《格》の高い選手なのです。

nara《超1流》のコピー.jpg

《第6次元》      《第1次元》      《超次元》

多くの人にとっては、
少し変化した同じ画像があるだけであって、
それ以上の意味はないのだろうと思います。
些細な変化で、見分ける事もできないかもしれません。

ところが、彦坂尚嘉は、この違いを『アートの格付け』と考えて、
いるのです。

《第6次元 自然領域》
《第1次元 社会的理性領域》
《超次元 超越領域》


ところが、これ以上にストレス=コントラストを上げると、
倒錯して、《超次元》は、《第41次元 戦争領域》に反転してしまいます。



nara《41流》.jpg

コントラストを41上げた画像

作品は《第41次元 戦争領域》に変貌しました。
しかも《第41次元》は、倒錯領域なのです。

nara《6流》《41流》.jpg
奈良美智 オリジナル《第6次元》作品   彦坂によって改竄された《第41次元》作品

さらに、ストレス=コントラストを61上げると、
《形骸》領域が出現して来ます。
これは『アートの格付け』で言うと《第8次元 信仰領域》であります。

nara《形骸》61.jpg

コントラストを61上げた画像
《形骸》
《第8次元 信仰領域》

つまり、コントラストを上げ過ぎると、
作品は《形骸》領域に達します。
それがしかも《第8次元 信仰領域》の作品となるのです。

nara《第6次元》《形骸》61.jpg
オリジナル《第6次元 自然領域》   《形骸》/《第8次元 信仰領域》

この《形骸》である実例としては、草間弥生の肖像写真があります。

Yayoi_Kusama.jpg

0972d1e4.jpg

このドギツイ表出してくる感覚が《形骸》の《第8次元 信仰領域》
なのです。
新興宗教のような次元です。

これを奈良美智の改竄画像と比較してみます。

草間nara《形骸》61.jpg
草間弥生            奈良美智の改竄画像
両方ともに《形骸》/《第8次元 信仰領域》

しかし、草間弥生の肖像写真には、別のタイプのものもあります。

b0054167_22241653.jpg
《第6次元 自然領域》の草間弥生肖像写真

こちらの写真は《第6次元 自然領域》であって、
実像としての草間弥生に近いのです。
しかし今日の社会情勢の中では、《形骸》化させて、
キャラ化したほうが、社会的流通するのです。

b0054167_22241653のコピー.jpg
《形骸》《第8次元 信仰領域》     自然《第6次元 自然領域》

草間nara《6流》.jpg
《第6次元 自然領域》

草間nara《形骸》61の2.jpg
《形骸》《第8次元 信仰領域》


先ほどの松山賢さんの例でも、《第8次元 信仰領域》が、
再制作で出現しましたが、
この場合には、コントラストを上げたのではありません。
再制作しただけです。

再制作と、ストレス=コントラストを上げすぎる場合という、
違う原因にも関わらず、《第8次元 信仰領域》が出現すると言う、
同じ状態に達するのです。
つまり再制作という自己摸倣は、ストレス=コントラストを
上げすぎるという現象を、どうも生んでいるらしいのです。

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栃原比比奈の完成品と7点目の入札




それと、せっかく入札いただいたのに、
作品が加筆のために、大幅に変わってしまって、
しかも入札価格が高くなった作品があります。

IMG_6937.jpg

この作品は、昔の現代美術=モダンペインティングの構造を、
未完成状態ではしていました。
代表的な作品は、ポロックの最高傑作とグリンバーグが評価した
五尋の深み(1947)(ニューヨーク近代美術館)などの構造です。

《原芸術》はある。
《芸術》はある。
《反芸術》はある。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《非芸術》は無い。
《無芸術》は無い。
《世間体のアート》は無い。


それがソヴィエトの崩壊1991年以後になると、
次のような作品構造が一般的になります。
代表的な作品としては奈良美智があります。


《原芸術》は無い。
《芸術》は無い。
《反芸術》は無い。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《非芸術》は有る。
《無芸術》は有る。
《世間体のアート》は有る。


それに対して、栃原比比奈の作品は、
次のような形を取っています。

《原芸術》は無い。
《芸術》は無い。
《反芸術》は無い。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《非芸術》は有る。
《無芸術》は有る。
《世間体のアート》は有る。




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27点目の入札/会期を2月7日まで延長 [気体分子ギャラリー]

27点目の入札をいただきました。
ありがとうございました。
詳しい情報は、後ろに掲載します。

本日は、ギャラリー山口から搬出をしてきました。
アルミボックス付きの2トントラックで往復したのです。

今日をもってギャラリー山口を閉じて、以後中に入れなくなります。

気体分子ギャラリー/栃原比比奈展は、山口光子さんの最後の企画
であったこともあって、
形見分けとして、ギャラリー山口の看板をはじめとして、
彫刻台や椅子などをいただきました。
ありがとうございます。

ギャラリー山口の看板は、
そのままアトリエの気体分子ギャラリーの看板として使わせて
いただくつもりです。
ギャラリー山口の文字はそのまま残します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
cizca.jpg


2月7日に木村静さんがビデオの撮影取材をなさりたいとのこと
でしたので、会期を延長して、展覧会をこの日まで継続します。
したがって、入札もこの日まで継続します。

価格が安いと言っても、この不景気な時期に、
27点も入札いただきまして、感謝いたします。

地方から2回も、3回も来て下さった熱心なコレクターの方々には、
深く感謝いたします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


Hiina Tochihara 1.jpg

彦坂尚嘉責任による芸術分析

 

《想像界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で《超次元〜第41次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で《第41次元〜超次元》の《真性の芸術》

 

 

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現
気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

 

 

《シリアス・アート》《気晴らしアート》の同時表示。
《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示
《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】
《原芸術》、《芸術》、《反芸術》、《非芸術》、《無芸術》
《世間体のアート》の全てがある。

 

定価
:300,000円
最低入札価格
:30,000円

一人の入札がありました。

入札価格
:30,000円
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


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達磨5点完売/コッキーシリーズ13点完売栃原展合計26点売れました/彦坂尚嘉1枚のドローイングと2点の板絵 [気体分子ギャラリー]

「深川いっぷく」での達磨展は、
私の最後のおつきあいという事で5点つくりましたが、
すべて売れました。
ありがとうございました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、コッキー・シリーズが、

ギャラリー山口で完売しました。

7点つくったのですが、すべて売れて、

めずらしいことに、注文を6点いただきました。

本当は画像修正をいなければいけないのですが、

もう午前2時10分、明日搬出でトラック運転手をやりますので、

寝るので、修正しない画像でお許しください。


明日最終日ですが、その前までで、栃原比比奈展では26点売れました。

値段は、デビューでしたので、安いものでしたから、数が伸びたのです。

k_kocky_01.jpg
k_kocky_03.jpg

k_kocky_02.jpg

k_kocky_sil_04.jpg

k_kocky_sil_03.jpg

k_kocky_sil_02.jpg

k_kocky_sil_01.jpg

さて、最後は、1枚売れたのドローイングの鑑定書です。

彦坂尚嘉様



お世話になっております。昨日もお疲れさまでした。


お忙しい中大変大変恐縮なのですが、お店作品の鑑定書をお送

り願えませんでしょうか?jpgに書き出してお送りいただきま

したら、私の方でプリントアウトさせていただきます。


先方より催促のメールが届いてしまいました。今月中には先方

にお渡ししたいので何卒よろしくお願いいたします。



白濱 万亀 Shirahama Maki ( Qrr ART ) 


T: 070-5460-4082/E : qrrart@yahoo.co.jp

****

深川いっぷく/http://www.fukagawa-ippuku.jp/





規制された自動記述と見立て11ブログ.jpg

彦坂尚嘉 規制された自動記述と見立て

彦坂尚嘉自身による芸術分析

《想像界》の眼で《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》
《象徴界》の眼で
《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》
《現実界》の眼で
《第41次元》と《第1次元》の《真性の芸術》

《想像界》《象徴界》《現実界》《サントーム》の4界をもつ重層的な表現

気体/液体/固体/絶対零度の4様態をもつ多層的な表現

《シリアス・アート》と《気晴らしアート》の同時表示。

《ハイアート》と《ローアート》の同時表示。
シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の同時表示
理性脳と原始脳の同時表示

《透視画面》『オプティカル・イリュージョン』【A級美術】

《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》《世間体のアート》のすべてがある。

あと、ザ・マーケットというオークションで、

これも安いですが、

彦坂尚嘉のウッドペインティング2点が売れました。

ありがとうございました。
039_2.jpg

040.jpg






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近藤愛助

彦坂様、

一昨日はどうもありがとうございました。
お会いできて本当にうれしかったです。
また滞在中、可能であればアトリエの方に
御邪魔したいと考えております。
またその時は、ご連絡します。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

それとベルリンのart情報を少し遅らせていただきます。
こちらのリンクはベルリンの主要ギャラリー(若手を含んだ)の
フリーペパーです。
Ausstellungorteという所から、飛んで赤い文字の部分が
コマーシャルギャラリーです。
ご参考までに。
このフリーペパー上のギャラリーは、ほんの
一部ではありますが、ベルリンのアートシーンの感じは
把握できるかと思います。

http://www.indexberlin.de/orte.html

このなかでいくつか思いつくところをピックアップしてリンク添付します。

大御所だと、

http://www.estherschipper.com/
http://www.galerie-nagel.de/
http://www.galeriebarbaraweiss.de/
http:/! /www.maxhetzler.com/1035.0.html
http://www.eigen-art.com/
http://www.johannkoenig.de/current.html
http://www.cfa-berlin.de/
http://johnengalerie.com/index.php?option=com_content&view=article&id=53&Itemid=27&lang=en
http://www.galerieneu.net/artists

若手だと、

http://www.galeriekamm.de/
http://www.benkaufmann.com/
http://www.croynielsen.de/

です。

またお会い出来るのを楽しみにしております。

近藤愛助






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文化は学習の連鎖である(校正2) [生きる方法]

この世の中には、学習が出来ない人がいます。

普通の意味で、勉強のできない人という範囲を超えて、

学習の出来ない人が沢山います。

学習というのは、他人の思考を学び、それを吸収する事です。

ですから、学習した人の頭の中には、他人の思考が入っているのです。

 
しかし自己愛性人格障害の人は、他者排除をしますから、

学習ができません。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも言語自体が、自分の造ったものではありませんから、

他者のものを使って考えるのです。

言語の他者性というのは、重要なものです。

他人の本を読まない人は、文章を書けません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は今も読書会をしますが、

読書会に参加しないタイプの人がいるのです。

五十嵐太郎さんも、学生時代から沢山の読書会をして来ていますが、

私も大学時代から読書会をくり返して来ています。

.............................
文章を書くためには、人の文章を7倍は読まなければなりません。
私の基本は、キルケゴールと、フッサールです。

フッサールの後に、ジャック・ラカンを読んで来ています。

日本人でいうと、まず内村鑑三です。それに今道友信、谷川雁。

こうした人々の思考をくぐって、考えているのであって、

それは普遍的なものです。

ラカンでいえば、ソシュールの言語学の用語であるシニフィエ、シニフィアンという

言葉を借用しつつ、意味内容を変形しています。

こういう用語の借用と、意味のずらしや、変形は、多くの哲学者や思想家に見られる

ものです。

私の使う、現実界や、サントームという用語の使い方は、

ラカンの用語の借用ですが、内容はずいぶん違ってきていますので、

そのことは、繰り替し断りを書いてきています。

 ラカンのように、造語することも重要ではありますが、

他人の用語を使い、変形して行く事も、文化をつくる基本であり、

重要な事なのです。

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村八分に耐える事は、日本的な処世術ではない(削除書き換え) [生きる方法]

私自身は、中学生から、村八分にされて、生きて来ているのです。

私はそれに耐えて来ているのです。

いまでも、私の悪口は沢山あるのであって、

それを平然と耐えて生きて来ているのです。

・・・・・・・・・・・・・・

建築家の南さんに誘われてmixiに入りましたが、

書かなくなったのは、村的で、読者の顔が見える様になるからです。

顔が見える関係になると、その人に遠慮して、批評とか言論は成立しなくなるのです。

 
多くの人は言論が、血によって書かれて来ている事を知りません。

言論人は、殺されるのです。

殺される覚悟で、書いているのです。

美術というのは命のかかっている職業なのであって、

当事者にとっては遊びではありません。

ギャラリー山口さんはお亡くなりになりましたが、

美術家でもゴッホをはじめとして、多くのアーティストが自殺しています。

美術家というのは、命がけなのです。

・・・・・・・・・・・・・

私は日本の村の外に出続ける人間です。

ラカンの読書会に来ている人は分かっていると思いますが、

私の人間関係は、移動や、循環は早いのです。

激しく入れ替わって行きます。

固定的な村や島をつくることは、目指していません。

美術史家の富井玲子さんは「彦坂は、移動する標的だ」と書きましたが、

私自身は、脱-領土化をしつづける人間ですから、

みなさんが考えるような固定的なグループを形成してはいません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はこのブログを無償の行為で書いているのです。

ブログの記事で壊れる人間関係は、沢山あります。

それに絶えて書いているのであって、

無料のブログですから、

読者に読む事をしいているものではありません。

嫌なら、読まないで下さい。

これは日本的な処世術ではありません。

この場合、私のイメージしているテキストは、安岡 正篤の本です。

陽明学者として尊敬はしますが、

私のやっていることは、彼の考え方の外部なのです。

私の方法は日本処世術の外部を生きるところにあります。


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批評されない作品は、幸福なのか? [アート論]

批評というものが、衰弱しているのが、

ポストモダンな世界なのです。

これが一般の状況です。

 こうした中で、作品をつくって発表しても、

何も批評されず、無視されるという状況は沢山あります。

こういう状況が、作品にとっても、作家にとっても幸せなのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういうことを書いている理由は、

私の芸術分析が、作品を不幸にしているという批判のコメントを受けたからです。

私を批判する事自体は良いと思います。

私はむかし、縁があって『ミュージックマガジン』で、音楽批評を書きましたが、

何回か、ミュージッシャンに呼び出されて殴られました。

私からみると、それは音楽批評の不成立ということに過ぎません。

ニューヨークの美術評論家が、やはり殴られたという話を読んだことが

ありますが、この場合も、殴りたければ殴れば良いし、殺したければ殺せば良い

のですが、批評というものは、殺されても書くものなのです。

殺されても書くというのが、ソクラテスから、エックハルト、

内村鑑三、レニーブルース を経由して流れて来ている批評の思考の流れなのです。

私は、高校生の時代から、繰り返し弾圧されながら書き続けて来ているのであって、

いまさら止める気はないのです。

私の文章を不快に思う人たちがいる事は良く知っていますが、

その人たちから、私は お金を取っていないのですし、

読む事を強制はしていないのです。

その範囲内でのお付き合いに限定させて下さい。

私には、私の自由があるのです。

それに私は、みなさんが考えている以上に、

作品や作家を大切にして、敬意をもって接しているのです。

問題があれば、具体的に箇所を指定してご指摘下さい。

私のミスがあれば、謝罪いたします。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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シャネルのウインドー・ショッピング [アート論]

 

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 レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの中に

《第41次元》を見つけた時に、

続けて見つけたのは、シャネルが広告で《第41次元》を
使っている事でした。

銀座のシャネルビルの、ビルを全面につかった証明アートも
《第41次元》で、美しいと思いました。
 
 
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シャネルは、広告 では41流を使いますが、
売っている商品は超一流なのです。
 
久しぶりに銀座のシャネルビルのショーウインドーを見て、
撮影して来ました。
 
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ここには原芸術、芸術、反芸術、非藝術、無藝術、世間体アート
すべてがあって、彦坂の言語判定法で見る限り、真性の芸術の構造に似ているのです。
 
違いがあるとすると、まず、実体的であって、非実体性がありません。
 
それに合法的であって、非合法性や、退化性といった、
芸術を成立させ重要な要素がありません。
 
その意味ではシャネルもデザインに過ぎないのです。
 
しかしにもかかわらず、高度な芸術性を有しているのです。
 
 
 
 



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コメントへのお返事 [状況と歴史]

川上直哉様

初めてコメントいたします。
「建築系ラジオ」で、彦坂様のお話に惹き込まれ、
ブログで、たくさん、新しい刺激をいただいています。

こちらこそ、建築系ラジオを聞いて下さり、
さらにこのブログを読んでいただいて、ありがとうございます。

感謝しつつ、今回は、二つ、お伺いしたいことがあります。

一つは、小沢一郎氏の人格分析がなされなかったことです。

前に、簡単な形ではしています。

小沢氏は、田中角栄の継承者でありながら、
田中派のような組織を作れずに今に至っています。
二人の間の継承と断絶は、あるいは、
「戦後」日本の空気の変化を示しているのかもしれません。
彦坂様のご意見を、伺いたく存じました。

良いご質問だと思いますが、
まず、田中角栄が、いかなる政治家であったのかが、
問題なのだろうと思います。

まったくの私見を申しあげれば、
田中角栄というのは、地方からの革命であったと思います。
戦後の高度成長経済は、1970年の大阪万国博でピークを迎えるわけですが、
この高度成長経済のお金は、大都会に集中していたのです。
そのお金を地方に収奪する権力を確立すべく台頭したのが、
田中角栄であったのではないでしょうか。

日本列島改造計画というのは、
日本の高度成長経済の延長性を含みながらも、
富を地方に還流させようと言う意味で、
地方の権力奪取の革命であったのです。

田中角栄の金権政治というのは、
中央のお金を地方に行こうさせる時に、
その見返りとして献金させると言う、バックマージン的なもので
あったのです。

つまり道路やトンネルを造る工事のお金を中央から持ってくる見返りに、
地方の土建屋から、バックマージンを返させたのです。


問題なのは、その結果としての新潟の改造が至りついた状態です。
越後妻有トリエンナーレの経験から言えば、
道路とトンネルができると、若い人々は都会に出て行ってしまい、
地方は衰弱したのです。

さて、この田中角栄の金権政治的な体質は、
実は民主党の政治家が引き継いで、自民党は引きつがなかったのです。
小沢一郎にしても、鳩山由紀夫首相にしても、
お金の問題が浮上してくる理由は、
いろいろあるにしても、田中角栄的な体質の系譜だからだろうと
思います。

もうひとつは、「野蛮」と「アルコール依存」の問題です。
「インディアンやエスキモーの人々がアルコール中毒になる」
「自然人はアルコールに対して、依存しやすい」
等といった表現は、
大切な問題を見えなくさせるように思われました。

大切な問題、というのは、
適応/不適応、という問題です。

「自然人」は、自然の中においては、
依存症になりにくいのではないか。
「人格」者は、「形骸」社会において、
アルコールその他に依存しやすいのではないか。

今、時代の節目にきている、ということを、
彦坂様の言説を刺激として、強く感じています。
「これまで」とは違う時代が来つつ、ある。
「これまで」に適応してきた大多数は、
次第に、追いつめられることでしょう。
そして、「これまで」に不適応であった人々が、
生き残っていく可能性を広げている。
ただ、「これまで」の世界において、
「不適応だった人」のもっていた創造的役割を、
私は、忘れないようにしたいと思っています。
だから、「自然人」の価値は、
10年後に、きっとはじめて、
今とは全く違う形で、輝いてくるかもしれない。
それはちょうど、今のネイティヴ・アメリカンのように・・・
(イメージは、AKIRAの『COTTON100%』です)。

そう考える私は、
「自然人=依存しやすい」という表現に、
鋭い引っかかりを覚えました。

長文となりましたこと、
論点がずれているかもしれないこと、
どうぞ、お赦しください。

それでは失礼します。

川上直哉 
by 川上直哉 (2010-01-24 06:42)  

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