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著作権の問題(加筆3校正2) [状況と歴史]

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葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」   集英社版『北斎美術館/全5巻』よりのスキャン画像


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葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」 東京国立博物館のサイトよりのコピー画像

上の画像は、葛飾北斎の「おしおくりはとうつうせんのづ」という作品です。

このような日本の名画の画像を、
このようなブログで使用する場合の著作権の問題があります。

私の立場は、非商業的な学術的な使用は、
個人の使用権として合法であると考える立場をとっています。
そして画像を大きく使用することが、日本文化の啓蒙に取って有益で、
公共の利益に合致すると考えます。

私のブログに対する著作権違反を非難する方々の、お気持ちは理解
できますが、私は、私なりに自覚して使用しているのです。

非難そのものを封じる気持ちは私にはありませんが、
いわゆる炎上問題は、幾つもの他の例があって、
ここにおける悪意の存在は、普通の議論の応対では意味が無い事が
多くの事例で明らかになっています。

つまりこの著作権を巡る応酬は、具体的な著作権の所有者との対応は
致しますが、それ以外の方々との空論は意味が無いと考えます。

たとえばDVDなどで映画を見る場合にも
「営利目的の上映」を禁止する警告を出しているのであって、
私的非営利の上映は可能です。
つまりこのブログは有料サイトとではなくて、
非営利的な無料サイトで、私的はものですから、
人類史的な遺産である芸術作品の画像の非営利的な使用は、
すべての人間の権利であると考えています。

私のブログには、さまざまな画像が使用されているので、
したがって問題は複雑ではあります。
それは一概に古典美術の画像とは同一ではないので、
おのおのの画像ごとの判断が要求されます。

基本としては、ネット上に流通している画像を使って来ています。
つまり公開され社会化され、共有化、公共化された画像です。

ただし『空想皇居美術館』このブログで扱う場合、
美術全集の画像をスキャンして使う場合もあるので、
この場合には、出版社との著作権上のトラブルの発生が考えられます。
しかしこの危険を犯しても、私はこのブログで、
日本美術の《超一流》の作品画像を掲載して行くつもりです。
つまりここでも画像の私的使用であり、非営利的な無料サイトでの
使用は、日本文化の啓蒙普及にとって意味があるのであって、
公共の利益に合致していると考える立場です。

「他人が著作者の許諾なしに無断で出版、映画化、翻訳した場合には、
著作権を侵害することになる」のですが、ブログでの使用は「出版」とは
同一であるとは考えられないと言う立場を、彦坂尚嘉は取ります。
同様に「映画化」でも無いと考えます。
大きな相違点は、有料の販売では無いという事です。

もちろん私のように考えない考え方も有るので、私の主張が
認められない事態はあり得ます。

著作権について、知的所有権が変化するのは1975年のアメリカの
ベトナム戦争敗戦後の変化の中で、アメリカの戦略として組み上げら
てきます。
一方、アメリカのヒッピー文化の流れから、
文化そのものを共有しようとする非営利の流れが
パーソナルコンピューター、インタネットなどで果敢に展開されて、
著作権を巡る考えのぶつかり合いは複雑を極めます。

それはシミュレーショニズムの作品となって、これも多くの裁判
を伴いつつ、複雑なありようを示してきています。その複雑さは、
iPodの出現で、CDのコピー防止装置が無化したところにも見られます。

ふるくはアンディ・ウォーホルから、現在のジェフ・クーズなど
も著作権を巡る裁判を経験してきています。
日本でも木村恒久や、マッド・アマノなどの著作権裁判は
あって、私自身は、この複雑な状況を自覚しています。

このブログでも、著作権者からの抗議がある場合に、
画像をダウンさせて来ている実例はあります。
ひとつは時事通信社の画像であり、
他のものは作家の作品写真です。

時事通信社の韓国戦車の画像でしたが、抗議を受けて、
著作権者の意思を認めて、すぐに画像を削除して、
他の同様の戦車画像に取り替えました。

マキイマサルファインアーツでの白濱雅也さん企画のグループ展を
批評した時に、作家本人からの希望があって、画像をダウンさせています。

この作家の場合には、あまり有名な作家ではなかったので、
つまり私の批評そのものに、それほど大きな公的利益を生じないと
私が了解したのです。つまり有名なアーティストの場合には、
社会的公的な義務がありますが、無名の作家の場合には私人に
過ぎないと考える立場だからです。

著書を有する有名人を批評する事は、公共の利益になると彦坂尚嘉
は考えます。六法全書においても、名誉毀損と言論の自由は、
矛盾している領域である事が明示されていて、批評の自由が許されるのは
公共の利益性がある場合です。私なりに六法全書は読んでいます。
こうしたことを彦坂尚嘉は自覚していて、
名誉毀損にならないように、彦坂なりに注意して書いています。
だからといって、いつか地雷を踏むだろうと、覚悟はしています。

人相分析に関して怒る人の気持ちは理解できますが、
人間の顔には、その人の人格の構造が現れます。
社会的に影響の大きな人には、人格的にも責任があると、彦坂尚嘉
は考えるので、社会的に無名人の顔の分析については、
ブログに書いていないつもりです。

ですので、著作権を有する人物や、名誉を傷つけられたと判断なさる
当事者からの抗議には誠実に対応いたします。

また、必要があれば、裁判を受けて立つ覚悟です。
それは仮に負けたとしても、文化の非営利的な共有使用の拡大を
主張する事が、私の表現者/言論人としての使命だと考えるからです。
そしてまた、言論の自由と、批評の自由を、死ぬ覚悟で追求
します。

生前の山田幸司さんに関連するブログでも書いていますように、
言論の自由や、表現の自由を追求する事は、極めて危険な事です。
死ぬ覚悟が無いと、例えば『空想 皇居美術館』のような企画は、
10年間も追求できません。「右翼に刺されるぞ!」という脅しは何度
でも聞かされています。刺されてもなお、無意味に過ぎなくても、
私は芸術の探究を社会事象を介して続けるのです。それが一方で
時代遅れである事は知っているのですが・・・・。
まあ、宮本武蔵のようなものです。
最後は金峰山にある霊巌洞で孤独に死ぬのでしょうか?

まあ、もっと無惨に、惨めに
かっこ悪く死ぬでしょうね。
「人の不幸は密の味」ですから、彦坂尚嘉の死が、
彦坂を嫌いな多くの人々に喜びを与えられるのではないかと、
思っています。
これもまた、ニーチェが言う《贈与の徳》ではないでしょうか。

彦坂尚嘉/hiko@ja2.so-net.ne.jp


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5万人突破/過去最高記録 [状況と歴史]

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入場者数が5万人を突破したという挨拶メールが転送されて来ました。

アートフェア東京2010の事務局からです。

(このブログの最後に全文を収録してあります。)


経済状態が悪いという日本の状況の中での、

5万人突破/過去最高記録というのは、

やはり凄い事です。



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時代がはっきりとアートフェアの時代になって、

アートシーンにおける大衆の反逆が、

作家だけでなく、観客動員においても定着したと言えます。


オルテガが言うところの「大衆の反逆」が、完全に成立した時代

こそが、一面から見た所の情報化社会であると言えるでしょう。


だからと言って、反面から見れば、精神的な貴族主義の人びとの

存在が大きくあるのも、実は確かな事であって、

その面を忘れると、時代を見誤ります。


しかし、そんな事は公には言わないで、

時代は完全に大衆の時代であると、言うべきでありましょう。


大衆の勝利万歳!


大衆芸術の勝利万歳!


こう描いた作品を作りたいものです。


こうした大衆主義の全面展開の一方で、

経済は悪化し、雇用状況は悪化し、そして失業者はあふれ、

日本のGDPは、墜落するように低下し、

財政破綻は、世界一で突出して来ているのです。




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こういう時代に、アートフェア東京2010に、過去最大の5万人に
およぶ入場者数があったことに、時代そのものの変動の大きさを
感じます。


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出品されてていた美術作品は、俗悪なものが多く、
美術館では見られない生の大衆の欲望の美術が出現していたのです。
美術だけではありませんが、
文化全体に、この異様なまでの大衆凡庸普遍主義が広がって来ます。
彦坂尚嘉が言う所の気体分子時代、
さらにはプラズマ化時代と言うのは、
つまり大衆俗悪凡庸普遍主義文化の時代なのです。

何故にそうなったのか?
この歴史的な経緯は、別のブログで書きますが、
伝統的な上部構造は反転して、
美術の下部構造である通俗性、デザイン性、そして装飾性が、
上部構造の位置に浮上してきたのです。
この事実を認めなければなりません。

かつての芸術の上部に位置した《原芸術》《芸術》《反芸術》は、
転落して、下部に追いやられ、忌避され、忘れられ、
無視されたのです。
《原芸術》《芸術》《反芸術》は、もはや隠れるしかないのです。

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地下に、隠れキリシタンのようにもぐって、暗黒領域に逃げる。
もはや、後戻りの出来ない変化が起きているのです。

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これは、人類の長年の夢であり、理想であり、理念であったのですが、
同時に実現してみれば、天国のように退屈で、凡庸で、そして腐って
いるのです。一切の希望は無い。文明の本質が気が狂ったのです。

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文明の発狂化したゆえにこそ、芸術は、サントームとして、
精霊のように、再出現するのです。
つまり、すべてを明け渡し、放棄することで、
再出現する道をとらなければなりません。

気が狂う事で、軽々と、時代の変化を乗り越えてみせるという、
サーカスをしなければなりません。

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自分自身の欲望とは、何なのか?
《原-人格》まで下りて、再度自己把握をする必要があります。
死への欲動!
狂気への欲動!

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冷静になって考えれば、別の道があって、
もっと正しい生活と、正しい美術と、正しい街や文化があるのです。

しかし、そうなのでしょうか?

 

私の回りの友人関係で言えば、

こうしたまともな生活や文化への希求をしている人に、

白濱雅也さんがいます。

糸崎公朗さんにも、こうした正しいまともさがあります。

さらには梅谷幾代さんや、玉田俊雄さんなどのギャラリストにも

まともなものへの願望があります。


建築家の友人では、新堀学さんや、南泰裕さんにも、

まともなものへの回帰への欲動があります。


こういう人たちの気持ちが間違っているとは思いませんが、

しかし・・・・・と、私は思います。


私自身には、余裕が無いのかもしれませんが、

どうしても、この敷居を飛び越す、棒高跳びのような跳躍への欲望が、

あります。

それが死への欲動であっても、ジャンプしてみたいのです。


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つまり、展示内容は、まったくひどい水準で、

通俗と凡庸、キッチュと退廃ではありましたが、

アートフェア東京2010の観客動員の勝利を、

私は肯定的に評価したいと思います。

これが日本文化と日本人の現在の現実なのです。


椹木野衣が言う所の「悪い日本」が出現しているのです。

これが現実なら、直視しましょう。軽々と!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

出展者各位


拝啓


 平素は格別のご厚誼にあずかり、厚く御礼申し上げます。


 今年もアートフェア東京2010が、無事終了致しました。これもひとえに皆様のお力

添え、ご協力のお陰様と、心より感謝申し上げます。


 総来場者数はプレビュー日を含む4日間で50,075人となり、昨年の4万5千人を上

回り、5万人を突破するという過去最高の記録となりました。今年も国内外から多く

の方々にお越しいただき、アートフェアというイベントが日本でも認知されつつある

ことを実感いたしました。また、NHK、J-WAVEをはじめとする多数のメディアにも取

り上げられ、春のアートイベントとして定着したのではと思っております。この潮流

を発展させ、アートが産業として日本に根付くようこれからも尽力していきたい所存

でございま す。


 詳細は後日クロージングレポートにてご報告いたしますが、取り急ぎ、メールでの

御礼とさせていただきます。


 今後とも宜しくご支援、ご指導のほど、お願い申し上げます。


敬具



アートフェア東京実行委員会

代表 山下宗白

エグゼクティブ・ディレクター 辛美沙


祭りの後 [状況と歴史]


個人メールで私の作品について感想をいただきました。


彦坂様



○○です。



本日も貴重な機会をありがとうございました。



○○○は、適切なことであるのかどうか、昼まで悩んだのですが、

彦坂さんの実際の作品を見てもらいたいと思い、

あと、アートフェアなどに行くのもはじめてなので、ものは体験ということで、

一緒に行きました。


突然すみませんでした。

以後は、○○○というのは控えようと思います。

わたしが集中できないので。



○○は

「ヒコさんの作品は、実際に見るとかわいい」と言っていました。

(○○もブログを読んでいます、わたしほど熱心ではありませんが(笑))

わたしもはじめて見たとき、似たような感想を抱きました。

暖かみがあるし、人間味があるように感じるので。


今感想を聞き直しました。


「(会場で)いろいろ見てると、社会構造のしがらみを感じてげんなりしてくるけれど、

ヒコさんのは、その外側にあるものに見えた」だそうです。



ほんとにそうですね。

(それが褒めていることになるのかは分かりませんが)



あの会場の中で、わたしは吐き気を感じました。

あんなにたくさんあるのに、心が躍るような、

かすかでも元気をもらえるようなものが、ほとんどなかったですから。


でも、彦坂さんのからは、風というか、、そういうのを感じました。



ウッドペインティングの青いやつは、いつまででも見ていたい青でした。

あとは、阿修羅のが好きでした。

けれど、値段がアレなので。。。。(笑)



「ポスターでいいよ」とか「イラストじゃん」とか、「職人仕事じゃん」と

言いたくなるものがたくさんあって、ちょっと驚きました。

ああいうことになってるのですね。

現代アートの「売り物」を、あんなにたくさん見たことなかったのです。

欲望と人間関係がうずまいているようで、息苦しかったです。あの大きな空間が。


彦坂さんはああいう中で闘っていらしたんだなあ、と思いました。


でもきっと、昔は少し事情が違ったのかもしれませんね。


正直、大変だなあ、と思いました。


ああいう中で、気体分子ギャラリーをやるのは、大変だなあと思いました。


正直ですみません(笑)。


でも、逆にわたしは「温度」のある作品と、その作者さんたちに触れることができて、

幸せなんだな、と、すごく思いました。



普通の大きな美術展にばかり行っていた者の感想です。



皇居美術館のチラシもできてよかったですね。

紙が厚くて、がんばったな! と思いました(笑)。


出版が楽しみです。

早く読んでみたいです。




それでは、取り急ぎお礼と感想でした。


あと2日、体調気をつけてがんばってください。



追伸:本日、「○○○○」が届きました♪


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

感想をありがとうございました。


《近代》という時代は、

2つの世界が成立していて、

自由主義圏では、純粋芸術=前衛美術が成立し、

もうひとつ社会主義圏では、社会主義リアリズム=凡庸アートが

成立していたのです。


ところが1975年にアメリカがベトナム戦争に敗れると、

純粋美術は退潮して、。ニューウエーブという形で、

《想像界》の美術が復権して、不純主義の美術が台頭します。


さらに2001年にソヴィエトが崩壊すると、

社会主義リアリズムとしてあった凡庸アートが、

世界中に広がって行くのです。


今回のアートフェア東京2010は、

この不純主義と、凡庸アートでほとんどが占められていて、

スターリンがいたら、大喜びするような分かりやすい展示と

なりました。

《第6次元 自然領域》と《第8次元 信仰領域》が大半で、

その中にかすかに《第1次元 社会的理性領域》の作品が

あったという状態でした。


一般に《第8次元 信仰領域》のものが商業主義の中では増大する

傾向があるように思います。

それはレンタルビデオ屋でも感じる事です。


しかしだからこそ、今回のアートフェア東京でも、驚くほどの大衆が

やって来て、混雑の日々となりました。

この不景気に、買いもしない人びとは、何のために来ているので

しょうか。


実は、《近代》が終わった時に、ということは

1986年ぐらいからなのですが、

巨大建築が建ち始めた時期から、文化の大衆化が、

さらに進展したのです。

文学においても、映画においても、美術においても、

スポーツにおいても、

グローバリズムと、商業主義と、そして巨大化、大衆化が、

爆発するように展開して来ます。

その中で、プライマリーギャラリーが主導した時代は終わるのです。

それは同時に批評の終焉でありました。


オークションと、アートフェアが台頭して、芸術を、大衆が決定する

ような時代に変貌したのです。

その代表的なアーティストがジェフクーンズでした。

株屋上がりのアーティストで、イメージ戦略を意識し、

大衆の理解できるイメージを、高度で大規模な技術で成立させた

作品は、グリンバーグが否定したキッチュを再評価して使用した

新しい時代のアートであったのです。

このジェフクーンズを摸倣したのがダミアン・ハーストと村上隆で

した。

こうして新しい前衛美術と社会主義リアリズムの統合された現代アート

が成立すると、実は何でもありの状況になって、

純粋芸術はあっというまに退潮したのです。


アートフェア東京2010年にあった猥雑さは、

大衆美術の猥雑さと言えます。

しかし《近代》にあった純粋美術の前衛性を知っている者にとっては

この交代劇は、ある種の必然に見えるのです。


文化も政治も、大衆凡庸主義が占拠してくる時に、

これを避ける事に、あまり私は意味を感じないのです。

つまり大衆主義から見を引き離すにしろ、貴族主義に隠遁してみても、

あまり成果が上がらないように思います。

彦坂尚嘉がめざすものは、大衆主義から身を引き離しつつ、

この大衆主義=凡庸普遍主義=自然的態度との格闘を、

試みていく事です。

つまり貴族主義と大衆主義の統合化の模索です。

それはサントーム・アートと言えます。


新国立美術館や東京都現代美術館など、美術館の巨大化は、

美術作品の巨大化を要請するとともに、集客性を要求しているのです。

もはや大衆という観客の存在を、単純に切り捨てるだけでは、

芸術を成立させ得なくなったのです。



ニヒリズム以後の世界(加筆1) [状況と歴史]

 
川上直哉 (2010-03-13 06:20)さんのコメントの後半への
お返事です。
 
第三の点は、第二の点の展開です。

1950年代以降を今と弾き比べる時代感覚の錯誤が、指摘されました。
これは、重要な指摘だと思います。

私も、1930年代こそ、今と比べるべき時代だというご指摘に、
賛成します。
しかし、それだからこそ、
1950年代に目を向けている、つもりなのです。

日本の1930年代は、いつ、終わったか。
それは、各方面でずれがあると思いますが、
少なくとも日本のキリスト教界(新教に限る)では、
1950年代に、やっと、おわります。

つまり、1930年の問題としておっしゃっているのは、
日本のキリスト教が、戦争協力したという問題だろうと
思うのです。

日本のキリスト教組織は、
少数の例外の人びと殉教者を除いて
大政翼賛会に賛同して戦争協力の道を選んだのです。

それは、そもそもは日本のキリスト教と、
国家神道としての近代天皇制の矛盾に根があったのだろうと、
思います。
その意味では、キリスト教を圧倒した国家神道というものの重要性を、
再認識する必要があるのです。

日本を神国としてとらえる考え方は、
実は仏教からの圧力と、元寇という外圧の中で生じたと言われます。
私の私的な感覚では、仏教に対する抵抗が日本の根底に存在している
という問題です。

神道そのものをアニミズムと考える考え方が一般的ですが、
しかしもしもアニミズムならばアフリカの黒人彫刻のような
偶像崇拝物が、神道文化としてあって良いと思うのですが、
寡聞にしてそういうものをあまり知りません。

お隣の韓国に行くと、アフリカかと見間違えるような
原始的な彫刻や仮面が多くあります。
しかし私が見て来た限り日本の神社文化の中には、
原始彫刻はありません。

ですので私は神道をアニミズムではないものと考えています。
日本にある言魂信仰というものに注目すると、
神道は、実は呪術ではなくて、世界宗教の一変形ではないかとすら
考えます。

つまり天皇の天が指し示すもの、
さらには北斗信仰の問題などから、
実は北極性に基盤を置く世界宗教と同根性をもつ宗教として、
神道があるだろうと私は考えています。
こう考えると、キリスト教と国家神道がぶつかった時に、
国家神道が圧倒したという事も、理解できるのです。

国家神道の源泉は、
伊勢神道の外宮の度会神道から、
本地垂迹説に対する反撃として始まっています。

本地垂迹説というのは、仏教と神道を統合しようとする時に、
仏教を上に置いて統一する考え方です。

これに対して度会 家行(わたらいいえゆき)は、
神が主で仏が従うと考える神本仏迹説を唱えて、
これが度会神道(わたらいしんとう)になります。

この度会 家行が北畠親房(きたばたけちかふさ)に影響を与えて、
『神皇正統記』という歴史書になります。

ここに、日本を神国とする考え方の重要な源泉があるのです。
これをどのように考えるかです。

私自身は、この度会 家行や、北畠親房に対する評価があります。

明治維新後に、この神国主義が国家神道に変貌し、
ある種のカルトになります。
日本の近代のキリスト教の大半は、
この天皇を神とする神国主義との対決を回避してしまいます。


近代という時代は、もともと国民国家の時代であり、
国家という枠組みが、強烈に強かった時代です。
この国民国家と天皇制が重なった大日本帝国下にあって、
日本のキリスト教は、教義的にも、矛盾を抱えてしまうのです。

もともとローマ帝国の支配の下で抵抗したキリスト教徒は、
たくさんの殉教者という犠牲者を出しながら、
彼らの屍の上に自らの信仰を築き上げて来たのです。
強大なローマ帝国の帝国権力に徹底抗戦をすることで、
キリスト教は成立したのです。

しかし日本のキリスト教が、殉教者の屍の上に立つ事、
つまり自らもまた、死を賭して信仰を確立しようとするものと
しては、近代日本のキリスト教は、充分ではなかったのです。

それは歴史の順番と言うか、ボタンのかける順番が、欧米とは
違っていたのであって、仕方がない事であったと、
私は思います。

1950年代になるまで、
1930年代の思想を引き継いだ1940年代の指導者が、
相変わらず、平然と、日本のキリスト教界に君臨していました。
そのことを総括するのは、1950年代になってからなのです。

私見を申し上げれば、
近代社会というのは、国民国家という形で、
《原-社会》の基盤を確立したのです。

この《原-社会》の確立以前に、宗教の基盤を確立していないと、
宗教教団としては普遍性を持ち得なくなるのです。

つまり近代社会の《原-社会》の確立以後の宗教は、
新興宗教になってしまって、
そこでは世界宗教としての普遍性を確立できない。
明治以降の日本のキリスト教は、徹底抗戦をしない限り、
普遍性を獲得できないのです。

それがささやかであっても、
死をとしての徹底抗戦においてはじめて、
普遍的価値が出現するのです。
ささやかでも良いというのは、
たとえば内村鑑三や、手島郁郎に対する私の評価は、
このささやかな徹底抗戦に対するものです。

大本教や、創価学会、そしてオウム真理教が、
日本国家の権力を奪取しようと試みた事のうちに、
この宗教的普遍性が、近代国家の《原-社会》性と激突する構造を
持っていることが示されています。

大本教の出口ナオや出口 王仁三郎に対する評価は、
私の中にあります。

創価学会の場合、1969年の「言論出版妨害事件」によって、
1970年には池田大作が正式に謝罪し、
教義から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの仏教用語を削減したことで、
創価学会の宗教性は、実は本質を失い、新興宗教のカルト性に収斂させられたと
私は思います。
その意味で、創価学会は、国家権力との対決において、挫折したのです。
しかし近代国家の根底に《原-社会》が措定された以降は、
近代宗教によっては、国家権力に対峙する事は、原理的に出来ないのだと、
私は思います。

つまり私の言いたいのは、
日本のキリスト教は、明治維新以前の殉教者の上に、
自らの基礎を築くべきであったと、私見では考えるという事です。

同様に、戦前の戦争協力の問題も、
協力しないで、殉教していったキリスト者の屍の上に、戦後の復興を成立
させるべきだったと考えます。
朝鮮では、多くのキリスト教徒が神道に対して抵抗して、
50名が殉教し、2000名が投獄され、200の教会が日本政府によって、
閉鎖されているのです。
だから韓国のキリスト教は強いのです。
その強さを、日本のキリスト教は欠いているのです。


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獄死した小山 宗祐

日本のキリスト教徒でも、ホーリネス弾圧事件や、美濃ミッション事件で
激しい弾圧を受け、投獄や殉教者を生んでいます。
私は、こうした抵抗と殉教の上に日本のキリスト教は成立するのであって、
そのことを直視しないと、宗教そのものの精神性は成立しないと思います。

キリスト教関連の思想においては、
ニヒリズムが、1950年代の大問題でした。
それは、キリスト教以外の思想圏との連動もあります。
しかし、ニヒリズム克服の運動の中で、
1930年代を総括したことは、事実です。

文学では、椎名麟三が、新教を代表しています。
そして、椎名に連携している神学者たちが、
私の研究対象となっています。

椎名麟三を私は読んでこなかったので、
この辺りは不勉強であります。
しかし私見では、この国家神道をキリスト教の、
教義の対決は、日本キリスト教の敗北というのが、
基本であったのではないでしょうか。

その神学者たちは、
1940年代の顛末を振り返り、
自分たちに欠けているものを見据えます。
そして、その欠損故に起こってくる待望にこそ、
1930年代を克服する足がかりを見出したのでした。

私は、これから、1930年代の暗黒が迫るのだと思います。
その今、1930年代を克服しようとした1950年代に学ぶこと。
それは、まず第一に過去の失敗に学ぶことを目指すものですが、
同時にまた、「新しい生産」の可能性を模索することにも、
つながるかもしれません。
エールをいただきましたこと、ありがとうございました。

問題は、近代の終焉以後にこそあって、
ひとつは天皇をいかに位置づけるのかという事です。
現代の情報化社会で、
天皇の祈りという行為を、どのように位置づけて行くのか?

もうひとつは、情報化社会に於いては、
聖なるものは再び、別の次元で、
つまり国家神道や、日本キリスト教の次元とは別の位相で、
蘇ってきているという事です。

このありようを捉える事は重要ですが、
このことが日本の近代の内部にある日本のキリスト教の
不徹底さとか、国家神道による敗戦とかとは、
一応、別の次元であって、
そこには、非連続性もあるように思えるという事です。

そして、もうひとつ。
原題は、虚無主義が全体を覆っている、とうのは、事実です。
しかし、私は、教師として考えます。
若者たちは、世界を見渡すことができるようになって、
皆、押し並べて、ショックを受けているようです。
それは、おっしゃる通り、
虚無主義が跋扈している現状を知って、
「こんなはずではなかった」というショックです。
私は、教養の教師ですから、
世界の実相を伝えなければならない。
その時、常に、
新しく虚無主義と向き合わされる若者たちと共に、
虚無主義と、戦わなければならない。
そうした私にとって、
1950年代に、学ぶことが多くあると思っているのです。

私の考えでは、すでにニヒリズムは終わっているのであって、
たいした問題ではないと思うという事です。

現実にはニヒリズムも、近代個人主義も大勢を占めていますが、
それは古い《近代》の風化形態であって、
問題としては、解決できない事です。

それは自然淘汰が結論を生み出して行くのではないでしょうか。

川上直哉さんの立場からは、自然淘汰にゆだねるわけにはいかない
でしょうが、《近代》そのものの風化は、避けがたいのであって、
この風化そのものは、私の立場からは手の打ちようの無い問題なのです。

つまり《近代》の《現実界》だけにニヒリズムが成立するのです。
人間は《現実界》だけで生きているのではないので、
ニヒリズムには限界が存在するのです。

つまり、今日、複数の人間が協力して活動するという、
マネージメントの場において、それが資本主義の起業/起業であろうが、
アートの現場であろうが、宗教教団の活動であろうが、
マネージメント/サントームの次元では、
ミッション=目的、使命、任務が存在するのであって、
そこにはニヒリズムは克服されているのです。
つまり《現実界》の外部である《サントーム》においては、
二ヒリスムは克服されているのです。

今日のコンピューターを使った労働においては、
基本的にはニヒリズムは克服されているのです。
つまりニヒリズムは、原理的に単純系科学の次元だけで成立していた
のであって、今日の複雑系科学の場においては、
ニヒリズムは成立しないのです。

このブログもそうですが、ニヒリズムにおいては、
書き続き得ないのであって、
ここではすでにニヒリズムは克服されているのです。

直接性からはなれて [状況と歴史]

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先日の京都建築学生の会に呼ばれて、
鈴木 謙介氏とご一緒して、印象的であった事があります。

150作品くらいの学生の卒業制作の建築プランを見たのですが、
鈴木 謙介氏は、視覚では判断できないといわれて、
文章というか、建築プランにつけられているコンセプトを読んで、
判断する方法をとられていた事です。

私のように美術家、それも画家の系譜の人間ですと、
コンセプトで判断するよりも、視覚で判断することを優先します。

この違いは、何なのだろうか?
と考えます。

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比喩で言います。
たとえば電車の中で、乗客が暴行事件を起こして、
警察に連行されたとします。

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そうすると、警官が、事件の事情を聞いて、
調書を作ります。

この調書を、検察に送って、
検事が、この調書だけを読んで判断します。

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つまり
第1次世界・・・・暴行事件の当事者の直接体験。
第2次世界・・・・現場に立ち会っていない警官による調書の作成。
第3次世界・・・・調書だけを読んで判断する検察官の次元。

つまり現実に起きた暴行事件の直接性は、
調書という文字に置き換えられて、間接化しただけではなくて、
事件の直接の取り調べもしないで、文字だけに判断する検察官の
判断にゆだねられるのです。
もちろん、送検されて裁判になれば、さらに間接化されて、
裁判劇が展開するのです。

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鈴木 謙介さんは、社会学者ですが、
現実を、検察のように、文字化された調書で判断する立場にいる
ように見えました。

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建築模型というものに対しても、その視覚的判断を直接にする
のではなくて、
文字による間接化した調書のような次元でないと判断できない、
というのは、しかし、鈴木 謙介さんだけではなくて、
今日の社会の仕組みの基本を指し示しているようにも
思えました。

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美術作品も、その作品のコンセプトで評価すると、
たとえば松井冬子さんの作品は、
コンセプトの提示がうまいので、良い作品になります。
ところが現実の絵画は、視覚の芸術作品としての組み立てが
弱くて、彦坂尚嘉の判断は低いものになります。

つまり美術作品も、調書で評価するのか、
直接の視覚で鑑賞して判断するのかで、微妙に判断が変わります。

私が言おうとしているのは、実は作品以前の社会の構造の問題です。

社会というのは、この警察がつくり、検事が判断する調書のように、
現実世界から間接化した調書=文字の世界で、社会が判断される
かたちで、組み立てられているのです。

つまり直接生きている現実世界ではなくて、
警察官という官僚によって文字に置き換えられた調書で成立する
秩序の世界が、文明という次元なのです。

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エジプト文明が成立するためには、
夜に星の動きを観察して暦をつくることが、先ず重要でした。
つまり天体の動きを観測して、その記録で天体の調書をつくり、
そこに周期を発見して、暦をつくるということをしないと、
ナイル川の洪水の起きる周期を見いだし、予測する事が、
出来なかったのです。

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ナイル川の氾濫を予測しないと、農業が出来なかったのです。

この記録=調書を基盤として、
文明が起きます。
つまり書き文字の登場というのは。
このような調書による直接性の次元からの間接化という作業だった
のです。

農業というのは、こうした文字世界の間接性があって、
実現したものなのです。

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「木」という文字ひとつとっても、
現実の直接性の世界における木の多様性を、極度に間接化したのが、
「木」という文字なのです。

杉の木も「木」であり、
つつじの木も「木」であり。
柳の木も「木」であり、
木の机も「木」であり、
天井の板も「木」であり、
木の箸も「木」であるのです。

文字の次元というのは、直接性の次元を間接化する機能の面において、
大変にすぐれていたのです。

しかし文字が成立すると、
人間は、直接性の世界で、直接に判断するという能力が弱くなります。


文字だけで世界の多様性は捕まえられないのですが、
文字だけを信じる人びとが、官僚として、そして知識人として、
登場してくるのが、文明という世界なのです。

直接性の感覚を重視して生きて行く生き方をとるのか、
それとも書き文字を使う事で、現実の調書をつくって、
その文字という間接性で物事を判断するのか?

つまり人間は、直接性の世界と、
文字による文明の世界との2つの次元を往復して
生きて行く事が必要になるのですが、
この2つの世界を往復する事が、実はむずかしかったのです。

ある種の人びとは、本を読まないで、直接性の世界だけに
生きようとします。

逆にある種の人びとは、鈴木 謙介さんのように、
文字だけで判断して、直接性では判断できなくなります。

そしてある種の人びとは、
現実の直接性を測定して、言葉に置き換えて、
現実と文字の世界を往復することを重視するのです。

この分裂によって、世界と社会はなおさら複雑になったのです。

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写真の登場は、実は問題をさらに複雑します。
写真は文字ではなくて映像であって、直接性をもっていると
受け取られます。
しかし実は多くの事は写真には、写りません。

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例えば臭いです。
阪神淡路大震災の時の写真やテレビ映像と現実の違いがあって、
そのひとつは現場をおおう臭いでした。

映像というもの、あるいは漫画のような絵の情報も、
直接性があるのですが、しかしそれは現実そのものの直接性とは
違う感性性やバーチャル性をもっているのです。

視覚情報が増えてくると、この視覚情報による直接性を、
第一次現実の直接性と混同してしまうという事態になるのです。

「おたく」と呼ばれる人びとは、
漫画を含む画像や、音情報の直接性に、過度に適応した人びとです。

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つまり複製技術によるバーチャルな感覚を、第一次現実世界の
直接性であるかのように受け取って、そのバーチャルな次元を
リアルに生き始めた人間の登場です。

つまり今日の情報メディア世界では、第一次現実もまた、
複雑に分裂しているのです。
どれが現実なのかも、実は分からなくなっているとすら言えるほどに、
第一次直接性の次元が多様化して来ているのです。

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人間はどのように生きようが、結局は自分の脳をつかって、
脳の把握する世界と言う、
脳内リアリティでしか生きていないという、
現実が浮上して来ます。

しかも人間の脳は、道具をつかうことによって、
間接的にですが、変化しているのです。

平安時代の日本人の脳内リアリティと、
現在の日本人の脳内リアリティは、違うと推定できる
のではないでしょうか。

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平安時代の人間が、現在に突然来ても、
自動販売機で切符を買う事もできないでしょう。

人間は、文字だけではなくて、数式や、
コンピューター言語を開発する事で、
文明を多次元化するとともに、
同時に直接性の次元も多様化してきていて、
把握できないほどに複雑なものになって来ているのです。

この複雑さの中で、いかに生きるのか?

この問いの切実さが、現在の私たちにつきまとっているのです。

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「はじめにすべてあり」と言います。
現代が、どれほど複雑になっても、
文明の初期段階に、問題の本質があります。

ポンペイに古代都市を見に行くと、
今と変わらないということが実感されます。
ポンペイに行かれる事は、お薦めします。

文明の初期段階の文章や美術作品はやさしいので、
理解しやすいということがあるので、これを読む事です。

ギリシア哲学や、初期仏典、中国の諸氏百花、
そして旧約聖書、アラビアンナイトなどを読む事が、
一番重要であると考えます。

文明の本質が持つ《間接性》を理解しないと、
今日の世界の理不尽さに、圧倒されてしまうのです。

文明様態選択の自由(加筆2) [状況と歴史]

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コメントをいただいている 川上直哉さんへのお返事です。
長いので省略して、
中央部分だけにお返事します。
後半ば、別の機会に書ければと思います。

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しかし、三位一体論は、もちろん、
西欧に農業革命が起こる前から、存在しました。
それは、「唯一神」を「父・子」に分ける理論から始まり、
「聖霊」の理論によって、無限に分化することに至ります。
その背景には、古代ローマの「古代的資本主義」というべきものがある。
それは決して中世西欧的「農業社会」を背景に作られたものではない。
この点は、重要かと思われます。

上記の論理は、私の組するところではありません。

古代ローマの「古代的資本主義」というのは、すでに農業革命後の
事象です。

彦坂尚嘉の理論的枠組みは、《全人類史》というものですので、
人類が農業を始めて以降に、世界宗教と言われるものが始まるので
あって、それは西欧と古代ローマを区分しては考えないのです。

川上さんは、古い西欧中心主義に捕われています。
一度その枠組みを外して、《全人類史》でお考えになってみる
ことも、お薦めします。

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「農業社会」的トマスの「三位一体論」以外のうち、
現代において私が有効であると思われるのは、
「関係の類比」と呼ばれるものです。
それは、無限分化する全体が、
関係性において一体性を保つという理解です。
その概念は、「農業社会」においては異端視されるものです。
しかし、近代以降、K・バルト以降の現代に至るまで、
「関係の類比」としての三位一体論は、
世界を説明する原理として、有効性を有していると思われます。

カール・バルトの理論枠が古いとすれば、
それは「言における神の啓示」という正論をいっていることです。

《近代》というのは、実は数式によって言葉そのものの否定によって
物理自然科学が成立したからです。
数式を基礎とするリテラシーによって単純系自然物理学が成立して、
同時に言語が否定されたが故に「神の《死》」が出現して、
ニーチェの言ったニヒリズムの時代になったのです。

カール・バルトによる「言における神の啓示」によっては、
言語を否定して数式で成立する単純系物理科学を超える事は出来ない
のであり、ニヒリズムも超える事は出来ないのです。

実際にカール・バルトは、1968年に亡くなっているので、
1975年にアメリカがベトナム戦争に敗れて以降の、
《近代》の崩壊の出現を、彼は見ていないのです。

つまり私たちが今、議論している現代という状況は、
1975/1991年という《近代》の崩壊以降の爆発的な状況なのです。
この爆発的な状況は、数式による単純系自然物理科学の限界化を超えた、
複雑系情報理論によって生み出されたと言えます。

複雑系情報科学が、単純系自然物理科学とニヒリズムを否定して、
超えたのです。
複雑系情報科学のリテラシーを基盤として、
ニヒリズムを超えたサントーム/マネージメントの時代になったの
が、現在のプラズマ化したグローバリゼーション/新ローカリゼーションの
時代なのです。
繰り替えますが、ここではニヒリズムと、近代個人主義は乗り越え
られているのです。

哲学者でいえば、たとえば少なくともボードリヤールの
『透きとおった悪』(1990年)が素描したような状況です。

いわゆるポストモダン状況ですが、
これは今日ではボードリヤールの素描した状況は、さらに進化して
いるのです。
実際ボードリヤールは2007年に死んでしまっています。

ご指摘の「関係の類比」というのは、
情報科学が、ビットという概念で組み立てられている事の内に
組み込まれています。
ビットというのは、差異の最小限化という考えです。

この情報理論の内に「関係の類比」という構造が組み込まれてしまった
という事態は、これだけで起きたではありません。

《近代》においては重要であった「抽象」という概念の有る一面は、
情報化社会でのレイヤーとか、過防備都市(セキュリティ)等々に
組み込まれてしまって、まったく違う様相になっています。

つまり《近代》にあった重要な概念や価値枠は、
情報化社会では、部分化してしまって、違う次元に組みこまれた
のです。

それと同時に、《近代》にあった重要な関係構造が解体されて
きています。

ベルトコンベアー型生産のラインとか、終身雇用制、年功序列、
デパート、新聞社、 マスコミュニケーション。定価。
地震予知、天気予報の中期予報、
核家族、近代個人主義、国民皆兵、官僚、ジェンダ、学校、
純文学/大衆文学の区分、
純粋芸術、純粋主義、前衛美術、抽象美術、平面絵画、立体作品、
画廊/画商、評論家/批評、
本、レコード、2D映画、

産業革命が成立して、教会が支配する時代が終わって、
科学の時代になっても、バチカンが崩壊しなかったように、
情報革命が成立して、多くの《近代》の産物が終わっても、
《近代》は残って続くのは確かです。

新聞社にしても、大手のいくつかは倒産するでしょうが、
それでもいくつかは生き残って、小さくなって継続します。
それはそうなのですが、
しかし確実に、時代は変わって、《近代》は古く小さくなるのです。

それは神学が古くなったように、哲学も古くなるのです。
モダンペインティングが古くなり、近代小説は古くなるのです。

恐竜の時代が終わっても、は虫類は小型化して、
トカゲは今も生き残っているように、
宗教も小型化して生き残るし、
哲学も小型化します。
近代小説も小型化するのです。
吉本ばななは、トカゲなのです。

近代芸術も小型化して生き残るのです。
奈良美智が示しているのは、そうした近代絵画のトカゲ化なのです。

松井みどりが示した「マイクロ・ポップ」というのは、
現代美術の小型化であり、トカゲ化なのです。

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《全人類史》で、考えると、区分は単純化します。
時代によって、その時代を支配している知的構造が変化するのです。

自然採取時代・・・・・呪術魔術   占い/まじない
農業化社会・・・・・・世界宗教 神学/ギリシア・インド・中国思想
産業化社会・・・・・・物理科学 科学思想/近代哲学
情報化社会・・・・・・情報科学 マネージメント/サントーム

この変化の比喩の根底にあるのは、
水(H2O)の比喩で、温度が上がると様態が変化するという
かたちでの説明です。

時代によって、文明の様態が固体→液体→気体→プラズマ
と変化すると、それに伴って、知的構造も変化するのです。


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自然採取時代
絶対零度で、空気まで凍り付いていて、動きません。
アボリジニは、5万年同じ生活をしていたと
言われますが、歴史がほとんど流れないのです。
         
呪術魔術が支配し、占い/まじないが、知的な構造
なのです。この世界が《想像界》なのです。
《想像界》というのは、魔術や呪術が支配し、
偶像崇拝が行われている知的世界です。
これは現在も現在も継続しているのです。

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農業化社会/文明
農業をするようになると、社会の温度はあがって、
氷は氷河となって、ゆるやかに動き始めます。
歴史が流れ始めるのです。氷河の跡は明確で、
この時代は歴史は理解しやすいものなのです。
ゾロスター教、ユダヤ教、キリスト教などの
世界宗教 神学/ギリシア・インド・中国思想
が、登場します。
私見では、この時代の古典文化こそがシーニュで
あり、基本なのです。その後の《近代》や、《現代》は、これらの
脱構築にすぎません。農業化社会の古典文化の拡散化としてしか、
今日の文化は生産され得ないという、極端な考えを私は持っています。

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産業化時代

産業革命で、温度が上がって、氷河は融けて水という
液体になり、川になって歴史は速度を上げて流れ始めます。時代は
急速に変わったように見えますが、しかし現実には20世紀初頭で、
革命的な変化は終わってしまって、以後は世界大戦があっても、同じ
川としての流れが続きます。
この産業革命化の社会という《近代》は、実は2つあって、
ひとつが自由主義経済の《近代》であり、
もうひとつは社会主義のソヴィエト型の計画経済による産業革命の
《近代》であったのです。
この2つの《近代》があるという冷戦構造的な2分化構造が、
《近代》の構造でした。
この2つの《近代》が激突して戦争をしたのがベトナム戦争であったの
です。ここで1975年にアメリカがベトナムに敗れる事で、
ひとつの近代が終わります。
そして1991年、ソヴィエト官僚社会が情報革命ができずに崩壊すると
《近代》は本格的に終焉したのです。
この《近代》の終焉前に、液体の水は沸騰して水蒸気に様態を
変えます。
この様態変化の沸騰の時期が、1960年代の後半と、
1980年代の後半の時代です。
ここで水は沸騰して水蒸気に様態を変え、さらに温度は上がって、
プラズマ状態になるのです。
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北川フラム更迭される(大幅に加筆) [状況と歴史]

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北川フラム氏が新潟市美術館館長を更迭されました。
もともと北川フラム氏の根本にあるものは、学問やアカデミズムと
いった蓄積型のフォーマルなものではありませんでしたので、
こうした破綻は、予想し得るものであって、私には驚きはありません。

北川フロム氏の館長としての運営を批判する『新潟市美術館を考える会』
の運動も、この更迭に大きな力を発揮しています。
詳しくはこのブログの後半部をご覧ください。

興味深いのは、この『新潟市美術館を考える会』の住所が、
新潟にあるのではなくて、東京にある事です。
そして東京でなじみのある人びとが多く入っています。
最後にリストを載せていますのでご覧ください。
新潟県内の政治闘争というよりも、東京での2つの勢力の激突という
印象すらがあります。

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『新潟市美術館を考える会』の批判は当然だと私は思います。
むしろ北川フラム氏は、破天荒なやり方で、良く、ここまで頑張って
こられたのと私は思っています。
ご苦労様でした。
ゆっくり休んで下さいと、北川フラム氏には申しあげたいと思います。

2000年代は越後妻有アートトリエンナーレの時代でしたが、
その背景には、アメリカの根拠なき熱狂がありました。
これが破綻して、新しい時代が始まるという2010年代であって、
この更迭は、こういう時代の変化と、無縁ではありません。

芸術的な根拠無き熱狂の時代は終わったのです。
芸術を厳密な学問として成立させることを努力する人びとの時代が
再開する事を、祈念します。




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以下に引用するのは、新潟市美術館を考える会のマニフェストです。


─提言、あるいはマニフェストとして─
 
 新潟市美術館は今、“瀕死”の状態にあります。否、見方によっては“頓死”してしまった、と言えるでしょう。
 
 わたしどもの新潟市美術館は、1985年開設以来凡そ20年間、“市民に開かれた美術館”を目指して鋭意運営に努めて参りました。そのためまず「みる・つくる・語る」の3つのテーマを課題とし、これに基づき郷土作家をはじめ内外の優れた美術作品の収集、おなじく内外の内容豊かな各種企画展の実現、また講演会、講座、実習、広報による教育普及活動を行ってきました。幸い、わたしどもの健全かつ真摯な運営と展観活動並びに作品収集の実績は、地元新潟市民はもとより、わが国の美術関係者の注目と信頼を集め、高い評価を得ることができました。但し、この実績と声価はあくまで過去のものにすぎません。事態は一変しました。
 
 2007年4月、新潟市美術館の館長に、株式会社アートフロント・ギャラリー代表の北川フラム氏が就任したのです。同氏はまた新潟市美術企画監という前例のない役職に就き、2008年4月からは、同市新津美術館長をも兼務するという、これまた異例の人事が市の行政によって行われました。
 
 実は、北川館長就任に至るまで過去3年間に3人の館長の異動が行われていたのです。2代目の斉藤修館長が2004年3月退任後、新潟大学名誉教授、久保尋二氏が同年4月、3代目館長に就任しましたが、2006年3月退任、次いで新潟市職員の大科俊夫氏が館長に就任したのも束の間、僅か1年で退任、そして、北川フラム氏の館長就任と相成った次第です。3年間に3人も館長が変わる、という前代見聞の人事を市の美術行政が行った訳ですが、考えようでは、北川氏を館長にするための、これは布石であり、先任者たちはいわば露払い、あるいは真打ち登場までの前座の役を担った、と言えましょう。北川氏は、さらにまた2009年7月から新潟市が企画した「水と土の芸術祭」の開催に際して同祭実行委員会のディレクターにも就任しました。市当局の北川氏への絶大な信頼の証(あかし)であり、瞠目すべき厚遇と言う他ありません。
 
 しかしながら、市当局の美術行政は、北川氏の館長就任に際し入れ替わりに、美術館開設当初から館運営に尽力してきた学芸員を異動させ、館長就任後には全員の異動を敢行したのであります。市美術館の収集作品の来歴、知識、管理、保存、展示に精通するこれらベテラン学芸員たちが不在となった新潟の美術文化発信の拠点は、今やアートに名を借りた、やたら金のかかる文化祭のイベント会場と化した観があります。そして最近、ついにその成果(?)が現れました。本来なら自然環境の中で配置・展示すべき「水と土」の作品を、こともあろうに美術館の展示室に設置するという、あってはならない珍事が出来したのです。
 
 北川フラム氏は、ご存知「大地の芸術祭」越後妻有アート・トリエンナーレの総合ディレクターとして、関係の作家、評論家、ジャーナリストの評判も良く、その辣腕には見るべきものがあります。この度新潟市美術館の館長に就任して真っ先に企画、プロデュースしたのが「水と土の芸術祭」だったのは、おそらく越後妻有アート・トリエンナーレの“新潟バージョン”の実現を狙ったものと思われるのです。
 
 新潟市側は市美術館の“旧体制”(?)を打破するための改革者として北川氏を破格の厚遇で迎えましたが、改革には、改悪と改善の両極が孕まれるものです。もし従前の市美術館が旧態然として運営されていたならば、その古い革袋に新しい酒を盛ることも可能なのです。しかし、どうやら、古い革袋を捨て去り、新しい酒は新しい革袋に盛ろうと意図しているようであります。
 
 ともかくも、今、新潟市美術館は健全に機能していません。北川氏が館長に就任以来、これまで同館と連携、協力してきた市民、作家、関係者、研究者、美術館、博物館、画廊、そして報道関係者(北川氏をもてはやす一部報道記者を除き)からは、現状を疑問視し、危機感を抱く声が聞かれるようになっています。
 
 さて、新潟市美術館で、今、何が起きているのか、何処へ向かおうとしているのか、事態急変かつ不可解きわまる現状について、これまで同館に少なからず関わり、何かとご助力ご支援くださった有志の方々にお集まり願い、《新潟市美術館を考える会》の名の下に、真剣に語り合いたく、ここに一文を草した次第です。これによって《新潟市美術館を考える会》設立の趣意書、またマニフェストといたします。
 
2009年8月6日
 
林 紀一郎 (前・新潟市美術館顧問、初代館長)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 会員

2010年2月24日現在  (18名)
代表
林 紀一郎
美術評論家、初代新潟市美術館館長

本江 邦夫
多摩美術大学教授

名古屋 覚
美術ジャーナリスト

笹木 繁男
現代美術資料センター主宰

金澤  毅
美術評論家、成安造形大学名誉教授

岡崎 球子
岡崎球子画廊主宰、アートプランニング集団「オカザキラブ」「地球分室」主宰

木村 希八
木村希八版画工房主宰、美術作家

平岡ふみを
アートウォッチャー

日夏 露彦
美術評論家


青木  茂
文星芸術大学特任教授、元町田市立国際版画美術館館長


市橋 哲夫
美術作家、元新潟市美術館学芸係長 

倉田 久男
美術作家

小林 直司
新潟工業短期大学名誉教授 [法律学]、美術作家


佐藤やよい
美術作家

鈴木  力
美術作家

中川セツ子
美術作家


西村  満
美術作家

長谷川朝子
新潟美術学園園長、美術作家

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情報出典:http://rencam.info/wp/
     新潟市美術館を考える会

マドンナによるマイケル・ジャクソン追悼演説(加筆1) [状況と歴史]



現地時間2009年9月13日(日)ニューヨークで開催。オープニングに登 場したのはマドンナ。マイケル・ジャクソンへの心からのトリビュ ートを送り、急逝したキング・オブ・ポップへの深い哀悼の意とと もに、VMAは幕を開けた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

マドンナのしゃべりというのは、
昔から良くて、音楽雑誌などでインタヴューを読んでいて、
たびたび感心させられた。

マイケルジャクソンについては、私も前に書いているが、
終始敬意をもって書いて来ている。

だからと言って、実はマイケルジャクソンの音楽を、
それほど良いとは思っていなくて、
そのことはそのこととして、いつか、ブログでも書きたいと思っています。

《現実界》の否定として情報化社会(加筆2校正1) [状況と歴史]

《無》について再論します。

川上直哉さんという方から、長文のご質問が来ています。
最後にそのご質問を再録してあります。

ご質問には直接はお答えしないで、
彦坂尚嘉の基本的な考えを述べておきます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

もともとは《死》の話からはじまりました。

ギャラリーのSさんも、
「彦坂さん、死んでしまえばおしまいですよ」という様な事を
何回も言っていました。

死んでしまえば、無に帰するというような常識が、蔓延しています。
しかし山口光子さんが死んでも、無には帰さないのです。

まず、彼女のつくった負債の3000万円は未処理で残ります。

ギャラリー山口の30年間の活動で、そこで発表した作家の経歴に、
ギャラリー山口の名前は残って行きます。

たとえば大浦信行 の『遠近を抱えて』という作品は、
ギャラリー山口で最初に発表されたものです。

普通に回顧すれば、篠原有司男さんを擁護したギャラリーとして、
記憶に残ります。

我田引水でいえば、彦坂尚嘉も『フェイク・デス』という
良い作品を発表しています。

等々、山口光子さんの人生67年が生み出した様々な波紋は、
今後も継続するのです。

死んだからといって、無にはならないのです。

今のギャラリー関係者は、
常識としての科学的な考えを基盤に生きているように思いますが、
それは厳密さを欠いているのです。

科学的な《現実界》の眼で世界を見ると、
《無》ということが現れます。
しかしそれは虚偽なのです。

そこで無と死が連動して、今日の常識を形成します。
その常識そのものが、虚偽なのです。

《現実界》というのは、意味構成をしないので、
人生の意味も、芸術の意味も解体されてしまうのです。
解体する事自体は良いと思いますが、
そのことが、実は事実を隠して行くのです。
つまり山口光子さんの死の後にも、
多くの事実は連動して動いてくと言う事実を見ない事に、
しているのです。


こういう世界観とか、人生観というのは、
日本だけとは言いませんが、
世界的に見ると、世界常識とは違うところもあります。

たとえば韓国は、朝鮮戦争をくぐって、たくさんの死を経験してから
キリスト教が強くなって、韓国キリスト教は、
日本への布教も果敢に展開しています。
私が今教えている立教大学もキリスト教の大学で、教会があります。
その教会の牧師さんのトップは、韓国人です。

韓国に限らす、キリスト教は世界中でまだ生きています。

もちろんアメリカはキリスト教が強くて、
現在も多くの葬儀は、土葬でなされています。
最後の審判のあとに、復活するために、土葬で埋葬された墓が、
多いのです。

こうしたキリスト教の宗教観というのは、
ラカン的を下敷きにした彦坂流の考えで言えば、
《象徴界》的な価値観が支配している見方であると言えます。

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つまり人間の精神は、《想像界》《象徴界》《現実界》そして
《サントーム》という4つの次元があるので、
《死》について考えたり、《無》について考えたりする時でも、
どこで考えているかで、微妙に内容が違うのです。

科学的に考えるという事は、
《現実界》で考えるという事であって、
それには、実は限界と古さがあるという事です。

ここからは彦坂尚嘉の独特の考えですが、

人類の歴史を見ると、
初期は、自然採取の原始時代でありました。

書き文字も無い無文字社会であったのです。
この時代を主導したのは呪術的な思考で、
これが《想像界》です。

今日の漫画の世界というのは、
この《想像界》を基盤としたものであって、
現代という文明世界の中に出現した野蛮文化なのです。

そこの原理は偶像崇拝です。
キャラクターというのは、この偶像崇拝の原理で作動するのです。

村上隆や奈良美智の描くキャラ芸術というのは、
この野蛮主義の復活と連動した美術の動きなのです。
近代芸術が、野蛮なものへと退化する動きだったのです。

《想像界》の特徴は、『アキラ』や、漫画版の『ナウシカ』が
指し示したように、先送りの戦闘世界で、
それは万華鏡のようにきらびやかで面白いのですが、
最後まで行くと、何もないのです。

《想像界》というのは、意味構成をしないのです。
とりとめもない万華鏡的な戯れの世界です。
同時に心的には、ラカンの明らかにした鏡像世界であって、
私たちの心理的な愛憎や、執着、絶望、苦悩の大半が、
この《想像界》で展開され、それは今も続いているのです。

この《想像界》を否定して抑制したのが《象徴界》なのです。

《象徴界》というのは書き文字の出現で可能になったのです。
書き文字が、法をつくり、そして聖書や仏教教典、コーラン。。
諸子百家の思想、さらにギリシア哲学を形成します。

つまり世界宗教が書き文字という識字によって成立して、
この書き文字が《象徴界》であって、
書き文字が《想像界》の原理である偶像崇拝を否定したのです。

しかし、それは《想像界》が消えてしまう事では
なかったのです。

《象徴界》が成立してもなお、人間は《想像界》制を保持して、
《象徴界》と《想像界》の2住生活をおくります。
そして次第に《想像界》の偶像崇拝が蘇ってくるのです。

そういう中で《象徴界》を再度否定して、
違う次元を切り開くのが禅宗であり、
そして科学であったのです。

ヨーロッパで言えば、17世紀から18世紀に、
この変動が来ます。

これらが《現実界》です。
《現実界》の特徴は、書き文字を否定して、
不立文字を主張して、
科学では、数式で表現する事です。
アインシュタインの相対性理論も、数式で示されたのです。

私が言っているのは、
科学が正しいとか、間違っていると言っているのではありません。

科学のものの見方は、
人間精神の《現実界》の見方であると言う事です。
それは数式で示される世界であって、
それを「死」とか、「無」という書き言葉で示すと、
実は混乱が生じるのです。

しかしもその科学というのは、
物理科学を主体にした単純系の科学であったのです。
今日の情報理論が主導する複雑系の科学ではありません。

自然物理学を中心にした単純系科学の主導した時代が、
《近代》というものであったのです。
それと今日の複雑系の科学とは違うものなのです。
連続性はありますが、原理的に革命があったのであって、
この科学技術の革命を見損なうと、今日の科学を
理解し損ないます。

重要なことは近代の《現実界》というのは、
意味構成をしないのです。

ここからはむずかしいかもしれません。

つまり分離という考えが、なかなか、みなさんに
分かってもらえないのです。

例えば、背の高さを測ることと、
体重を量る事は、別の事なのです。
測定する時に、別々にする必要があります。

背の高い人は、体重も重いという事は、一般にはありますが、
連動して考えると、間違えるのです。
体重が100キロあるから、背の高い人であると言うような
予想は、マズいのです。
身長は低いのに、体重が極端に重い人もいるからです。

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を、それぞれの
特徴をつかんで、分離しておかないと、
混乱するのです。

絵画における色の問題も、
彩度、明度、色相の3つをバラバラにして考えて、
コントロールするのが、むずかしいのです。
それなりの理論学習と、訓練と、経験をつまないとできないのです。

分離を踏まえておかないと、
「死」とか、「無」とか言う書き言葉をつかって考えると、
《現実界》と《象徴界》をミックスしてしまって、
混乱を生むのです。

《現実界》では数式で考えるのが基本で、
言語を使ってはいけないのです。

ギャラリーARTEの梅谷幾代さんの中に、
彦坂尚嘉が見ているのは、
そうした《想像界》《象徴界》《現実界》の3界が、
未分離に重なっていて、
しかも単純系の科学へと、還元する形で、
「死」とか「無」の言葉が使われていることです。

思考が団子になっているのです。

問題なのは、それが今日の日本の大多数の常識と、
重なっている事です。
常識の中で思考する事自体が、実は問題なのです。
その虚偽性は、ソクラテス以来の真理であって、
今日の日本社会の常識は、実は虚偽なのです。

今日の日本社会の常識が信じているような形では、
「死」とか「無」というのは存在しないのです。

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コメント 1
こんにちは。
いつも、たくさん学ばせていただいております。
川上直哉と申します。

死をめぐる考察、静かに拝読いたしました。
まずは何よりも、お見舞いを申し上げます。

すこし、考えを整理して、一つの質問をさせてください。

共観福音書(マタイ・マルコ・ルカの福音書)の共通した記載によると、
“神は生きている者の神だ”というのが、
イエスの思想であったようです。
このイエスの思想の特殊なのは、
「神は生けるものの神だ」という発想から、
「死=無化」という発想を退ける方向へ、
論理を進めた点にあります。

「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神」と、
そのようにその名を呼ぶところのユダヤの唯一神は、
生ける者の神である、
だったら、アブラハム・イサク・ヤコブは生きている。
それが、福音書に残されたイエスの死生観の展開でした。

「死=無」という概念は、ギリシャ哲学においても大問題で、
たとえば、デモクリトスのアトム論は、
「アトム=分けられないもの」を、世界の構成原理としました。
でも、それは、キリスト教が支配した中世西欧において、
完全に退けられました。
それは、上記のような福音書の思想の枠内に、
人々の思考が支配されていたからでした。
さらにそれは、トマス・アクイナスが、
アリストテレス哲学をキリスト教に大胆に導入して、
神学全体のが理論的補強を施された、結果でした。
トマスが用いたアリストテレスこそ、
アトム論に反対した代表者の一人だったからです。

ここまでが、《象徴界》の主導した時代です。
この後、数式を基盤にした単純系科学の《現実界》が、
主導する時代が始まります。

こうした状況は、17世紀に逆転します。
17世紀に、真空が発見されたことが、
大きなきっかけになります。
背景には、
16世紀の宗教改革=宗教の破綻を受けて、
論理と数学と実証に支えられた科学が、
人々の思考を新しく展開し始めていたことがある。
そのような背景と発見に押し出されて、
アトム論は、17世紀に復活します。
アトム論は、ライプニッツのモナドとして、洗練を加えられます。
「モナドロジー」は、現代の思考の先取りとして読めます。

こうして、アトム論は、実に、現代を支配する思想となりました。
アトム的・モナド的枠組みが出来上がることで、
現代の機械論的世界観が生まれる。
それは、「死=無」とすることを、
自明のこととして疑わない世界観です。

現在の情報革命は、実は近代の単純系科学を、
根本において否定して、別の原理で出現して来ているのです。

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