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《言語判定法》の習得の可能性 [言語判定法]

彦坂様
はじめまして、真理子と申します。
私はつい先日「松井冬子」さんの顔写真を検索してこちらに辿り着きました。

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彦坂様の記事はどれも興味深く、<第41次元>のものの見方は私にとって全く新しいものでした。
今は「顔/美人論」を読ませていただいていますが、黒木メイサさんが<超1流>美人であることには大いに納得しました。内側からにじみ出るような力強さを感じるのはやはりそうだったのかと思ったからです。

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他の記事もこれからじっくり読ませていただこうと思っているのですが、その前に一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか?
彦坂様のやってらっしゃる<第41次元>のものの見方は彦坂様以外の人にもできるのでしょうか?
私は歴史も芸術音楽も狭く浅い知識しか持っていません。
私のような者でも<言語判定法>を習得できますでしょうか?
ご回答いただけると嬉しく思います。
よろしくお願いいたします。
(今回の記事に対するコメントでなくて申し訳ございません。)

by まりこ (2010-02-10 22:13) 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まりこ様

ご質問ありがとうございます。

《言語判定法》そのものは、原理的には、普通に習得可能なものです。

人間の言葉の機能は、
二つあります。

ひとつはコミュニケーション機能ですが、
もうひとつは、言語で、自分のまわりの環境を認識するのです。

エスキモーは、雪や氷に関する言葉をたくさん持っています。

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日本人も、雨にかんする言葉を、英語に比較してたくさん持っています。

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言葉の数を増やす事で、雪や氷、雨の微細な変化をとらえているのです。


こうした言葉がもつ、認識の能力を使ったのが、
《言語判定法》です。

ですから、原理的には、だれでも学習ができます。


ただ、本当に誰にも習得可能か?

と言うと、現実では、そうでもありません。

人間存在は多様なので、勉強する事が嫌いな人がいるからです。

たとえば楽譜の読めない人とか、自動車の運転を出来ない人などという
レベルの事です。

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そういう意味で、《言語判定法》を使えない人は、
います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私自身の教育経験ですが、自分の子供に教えようとしました。

思春期前には出来たのですが、
自我が確立されてくると、出来無くなりました。

自我の確立は、同時に《世間体人格》の成立であって、
《世間体》に合わせようとすると、《言語判定法》は
使えなくなります。

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私のアトリエでアシスタントをしてくれていたS君に
教えようとしましたが、言葉を発して、木霊を拾うデリケートな
感応性を発揮するところで、拒絶されました。

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デリケートな識別をするということも、
実は《世間体》に合わせているとできないのです。

「赤信号みんなで渡れば怖く無い」というのが《世間体》なのです。

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「みんな」に合わせる事に集中すると、《言語判定法》は使えません。

「みんな」で。赤信号を無視すると、
「みんな」はダンプカーにはねられて、
死にます。


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「みんな」に合わせるというのは、
集団自殺にいたるのです。

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JALが破産し、トヨタが崩壊を始め、デパートが衰退するという
乱世の時代に、「みんな」と一緒に赤信号を渡れば、
集団自殺に結果します。

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日本が、軍事力の差が3000倍もあるアメリカと、
無謀な戦争をして多くの死者を出した事を、
また、繰り返すのです。


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「みんな」と一緒に、赤信号を渡ってはいけないのです。

「みんな」という基準は、集団自殺に至る危ない基準なのです。


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100人中の80人から、離れる事です。
「みんな」から離れる。
このことを受け入れないと、《言語判定法》は使えないのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

立教大学大学院で授業をとってくれているYさんは、
《言語判定法》の習得を目指していますが、出来ていません。

rikkyo.jpeg

原因は、基本的な分離の作業ができないからです。

分離の作業というのと、高級そうですが、
彦坂尚嘉的に下品に言いますと、忍者になる努力です。

私は小さな時に、忍者が好きで、忍者の訓練をしていました。

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簡単な訓練がいろいろあるのですが、
感覚をとぎすます訓練が必要なのです。

基本的な分離というのは、忍者だけでなくて、学問の基本なのですが、
日常生活をしている時の《自然的な態度》の外に出る事です。

この外に出るということができないと、
忍者になれないし、
《言語判定法》に限らず、あらゆる学問はできないのです。

まあ、ですから、普通に簡単な訓練をすれば、
《言語判定法》は使えるようになります。

馬鹿馬鹿しく見える忍者の訓練が、
しかし、あなたにできるかどうかです。

たとえば、電車に乗っている時には、
ぶら下がっている吊り革の1点を見つめ続けて、
精神集中をするという訓練をするとか、
そういうものです。


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ひとつのものを、ジーと見つめると、
変わって見えて来ます。

凝視するというのは、重要な方法なのです。


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《言語判定法》の実際の手法と訓練法(加筆3画像追加5) [言語判定法]

丁寧な返信ありがとうございます。
ですが他の方もお気づきかもしれませんが、回答になってないと思います。私の質問の仕方が悪かったのかもしれません。

弘田一成の作品を、『格付け』をする事を思いついて、やったところ、《8流》という風に出ました。
《8流》とは何か? とおもって、会場の韓国側の作品を同じように『アートの格付け』をして行くと、伝統的な水墨画が、《8流》でありました。
こうした事例を探して行く中で、《8流》というのは《第8次元 信仰領域》であるという内容の推察ができるようになりました。つまり良いと信じている人には、良く思えるのですが、良いと信じられない人には、良く無く思えるという領域です。

とありますがこれは順番が逆ではないでしょうか。「こうした事例」とする根拠を示してほしいのです。つまり最初に何をもって8流とするのか教えていただきたいのです。私見であるのは勿論分かっております。

「一般的」「マイナー」「ひどい状態」のような言葉の使い方をみますと、それらにご自身の判断の基準が見えず、「良いと信じている人には、良く思えるのですが、良いと信じられない人には、良く無く思えるという領域」という言葉には何の内容も含まれないのではないでしょうか。芸術はすべて「つくりもの」ですし。「一般的」「マイナー」「ひどい状態」に疑問をもって、もう一度リヒターの作品から始めてほしいと個人的には思ってしまいました。

つまり、作品のどこがどうだからこう判断できるという内容そのものが抜け落ちているのです。

丁寧な説明ありがとうございました。
また返答がございましたらお待ちしております。 
by オオクラ (2009-10-28 16:53)  

オオクラ様

踏み込んでのご質問ありがとうございます。

「こうした事例」とする根拠を示してほしいのです。」というのは、
作品を1つあるとすると、順番に、番号を
投げかけて行きます。

たとえば、吉澤美香の作品を例にしてやってみます。
これに数字を投げかけます。
一番良いのは声を出して、言う事です。
繰り返し言います。

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《超1流》
《超1流》
《超1流》
《超1流》
《超1流》

違うと言うこだまが戻ってきます。
言葉と、作品がフィットしないという感覚です。
弱い、ささやかな感覚ですが、
それが感じられるようになるのです。

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《1流》
《1流》
《1流》
《1流》
《1流》

《1流》ではないという、こだまが返って来ます。

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《2流》
《2流》
《2流》
《2流》
《2流》
《2流》

このくらいで、「《2流》ではない」というこだまが返って来ます。


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《3流》
《3流》
《3流》
《3流》
《3流》ではない。

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《4流》
《4流》
《4流》
《4流》ではない。

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《5流》
《5流》
《5流》
《5流》
「《5流》では・・・・」
《5流》
《5流》ではないと、決定します。
近づいてくると、その感覚も生じます。

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《6流》
《6流》
《6流》
《6流》
《6流》
《6流》
《6流》
「《6流》である」
「《6流》である」
「《6流》である」
「《6流》である」
《6流》であるという結論に達します。

以下、同様の作業をいろいろな概念や言葉で、
判定をして行くのが、《言語判定法》による
彦坂尚嘉責任による芸術分析です。

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《想像界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《象徴界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント
《現実界》の眼で《第6次元》のデザイン的エンターテイメント

《想像界》の作品、
気体美術

《気晴らしアート》
《ローアート》

シニフィエ(記号内容)の美術

《原始平面》『ペンキ絵』【B級美術】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ことばと、対象物の関係を、分かりやすいものにして、
訓練を、私自身がかなりしています。

私は、小さな時に忍者が好きで、
いろいろな訓練をして来ています。
その延長なのです。

猫を飼っていたので、
猫でも訓練したのは、
今も覚えています。

猫はヒマラヤンでした。
まず、猫を見ます。

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犬である。
犬である。
犬である。
犬である。
犬である。
「犬ではない。」

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蛇である。
「蛇ではない。」
蛇は、答えがはやかったですね。

cat3.jpg
コップである。
コップである。
コップである。
「コップで、・・・」
「コップで、・・・」
「コップで、・・・はない」

こういう風に、根気よく言葉を投げかけて行きます。
そしてこだまを、感じとるのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日は立教大学大学院で教えて、
その授業に来ている山口俊郎さんと話をしながら、
構内を、教室から研究室に向って歩きました。

山口さんは、倉敷に有る大学で、非常勤講師をしている油彩画家で、
立教大学大学院で、3の授業を毎週2日、3コマ受講して、
毎週土曜日に倉敷に帰って、という通勤生活をしています。

山口さんも《言語判定法》を習得したがっているのですが、
対象物を、イメージで見てしまって、言葉で見られないと言って、
悩んでいました。

昨日も、その話をしながら、歩きました。
校内には、大きな樹が何本も立っています。
その一本の木を見ながら、次のように説明しました。


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目の前の一本の木を見ながら、
木と言う字を、指で、やや大きく、空中に書いてみます。


この文字と、目の前の一本の木は、
ずいぶんとちがうものです。
言葉と言うのは、不思議なものでして、
対象物との差異が、大きいのです。

つまり、ひとつの抽象の関係として、
この目の前の木と、「木」という言葉は、あります。

リアルな物事と,言葉という高度な抽象性との差を、
まず、感じる必要があります。


木の机も「木」ですし、

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木の橋も「木」です。

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木の食器も「木」です。

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木の壁も「木」です。

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木の天井も「木」です。

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製材してあるものも「木」ですし、

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山に生えているものも「木」です。

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松の木も「木」ですし、

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柳の木も「木」です。

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黒檀も「木」です。

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桐も「木」です。

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つまり「木」という言葉は、
いろいろなものを指し示しえるのです。

つまり「木」という言葉は、抽象物であって、
この記号=シーニュの次元と、実際のリアルな存在物の関係というのは、
信じられないほどに、ある、距離があるのです。

リアルな存在物と、シーニュの距離を、
実感する訓練をしていく必要があります。

ものを見た時に、名前をいろいろと考えて行くのです。

例えば木の机を見て、それに付け得る名前を10個上げてみます。

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木の机
家具
道具
構造物
製品
木目
《1流》品
有機物
金属製ではない
自然調

こういう調子で、
ひとつのものには、さまざまな名前があるということを、
訓練して行きます。
この多数の名称というのは、老子の言語論で、
私は、大学時代から重視していて、むかし美術家共闘会議(BIKYOTO)を
結成した時に、その理念の中に名称論を入れています。

そういうわけで、老子の名称論を背景にして編み出されたのが、
《言語判定法》なのです。

老子というのは、法家と争います。
法家は、ひとつのものにはひとつの名称があると言って、
名称を、単一に固定することを主張します。

つまり木の机には、「木の机」というひとつの名称だけがあるのであって、
他の呼び方をしてはいけないというのです。

それに対して老子は、ひとつのものには、
さまざまな名称があるのであって、
その多様性を主張しました。

いや、それだけでなくて、
ものにまだ名前がつかない段階を重視しました。
そしてものに、名前がついた瞬間に、「鬼神が泣いた」と書いています。

つまり山に生えているリアルな松の木は、
本来は、名称を付与されていません。

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これに、「木」という名称がついた時に、
このリアルな木は、「木」というシーニュのレッテルが貼付けられ、
疎外されるのです。
だから「鬼神が泣いた」というのです。

名称そのものの、こうした疎外の構造を見ておかないと、
リアルなものと、シーニュの関係を見損なうことになります。

「言語は現実を語れない」のです。
ところが同時に、人間は「言語でしか現実を語れない」のです。

つまり名称をつけるという事はできるのです。
つまり人間は、より的確な言葉を探したり、
より多くの言葉を重ねていくことによって、
少しでも現実に近いものを描き出そうと奮闘するのです。

《言語判定法》というのは、シーニュ=言葉が、付きえるのか、
付き得ないのか、それを見て行く作業です。

この先に行こうとすると、
言語論になってしまって、難しくなるので、
とりあえず、《言語判定法》の実際の手法の段階に、留めておきます。

その範囲で言えば、
もの松の木をみながら、「金属製である」という言葉を発すると、
違うと言う反応が返って来ます。

さらにこの松の木の画像を見ながら、これを値踏みして、
格付けする事は出来るのです。

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《超1流》ではない。

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《1流》ではない。

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《2流》ではない。

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《3流》
《3流》
《3流》
《3流》
《3流》ではない。

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《4流》
《4流》
《4流》ではない。

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《5流》
《5流》
《5流》ではない。

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《6流》である。

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《7流》
《7流》
《7流》ではない。

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《8流》ではない。

こうして、この松は、《6流》であると、判定されるのです。

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《6流》
《第6次元 自然領域》


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この松の木も、吉澤美香の作品も、
細かい差異はありますが、
次元としては《第6次元 自然領域》で、同じと彦坂尚嘉は判定するのです。

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『アートの格付け』と《言語判定法》について(校正1) [言語判定法]

以下の、似たようなご質問を、数本のコメントとしていただいています。
ご質問にまとめてお答えできればと思います。


こんにちは。8次元や41次元などの言葉の意味が分かりません。それらの意味と、それらの言葉を使う根拠を教えてください。 
by オオクラ (2009-10-2703:32)  

こんにちは。何をもって顔を判断しているのか、彦坂さんご自身の根拠を示してください。 
by オオクラ (2009-10-2800:10)  
 
 
上にも出ているのですが、顔判断の根拠を示してください。

by 桑山 (2009-10-28 02:56)  
 
上にコメントを書き終えて気がついたのですが、この「根拠を示せ」という主張はポランスキー監督に対する個人的な好意があったうえでの、感情的な叱責とかでは決してありません。私が指摘したのは格付けそのものの問題です。格付けの根拠が示されない限りは、他人に説明が出来ないのです。感じて共感することは出来ても真の理解は出来ないのです。どうしても、「モナリザがそうだから」とか「真の価値は多くの人には理解されない」とかいう風に逃げているように見えてしまうのです。レスお待ちしております。



by 桑山 (2009-10-28 03:03)  


今ままでも、何回か書いて来ているので、

たぶん、『彦坂尚嘉の《第41次元》アート』の1の方で読んでいただく方が、内容的には、良いものかもしれません。

 

でも、探すのがたいへんかもしれないので、

とにかく、繰り返し、お答えして行きます。

 

私の書いている方法は、基本的に印象批評です。

そもそも芸術の趣味判断というのは、印象批評です。

たとえば小林秀雄の文芸批評の基本的な方法は印象批評です。


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批評や評論というのは、欧米においては、

「(個人が)物事をどう捉えるか・把握するか・判定するかを表明するもの」であるのです。

個人の私感が批評なのです。

昔の印象批評を、今日の情報化社会のものに、

《言語判定法》という方法で、書いているのが、彦坂尚嘉のブログです。


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ですから、彦坂尚嘉という個人の責任で、

私的な判断を示しているのであって、

それ以上のものではありません。



つまりオオクラさんのご質問の「顔判断の根拠」は彦坂尚嘉の私的な判断とその《言語判定法》というものにあります。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

病院でレントゲン写真をとって、肺の映像の中に、

結核の病状を読み取るという場合、

そのレントゲン写真の、もやもやとしたグレーと黒のネガ画像をどう読み取るかは、

医者によって違います。


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名医とぼんくら医者では、違うのです。

判断というのは、そのように医学の場合にすら印象批評であり、

個人の私性でなされるのです。

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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

さて、ものごとを判断するには、

3つの方法があると、彦坂尚嘉は考えます。

 

ひとつは『イメージ判定法』です。

もうひとつは「科学的判定法」です。

最後に、《言語判定法》があります。

 

私は日本ラカン協会の幹事をしていますが、

ジャック・ラカンの用語に、

《想像界》《象徴界》《現実界》というものがあって、

これは人間の精神活動が、この3界でなされているものとされています。

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イメージ判定法というのは、《想像界》での判断に対応しています。つまりイメージで見て、判断するのです。そこでの問題は、本物の金と,偽物の金の区別がつかない事です。


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科学的判定法というのは、《現実界》での判断に対応しています。ここでは、比重や、金属分析で、本物の金と、偽物の金は区別がつきます。

 

そして《言語判定法》というのは、《象徴界》での判断力を使ったものなのです。ここでは、イメージでは判断できない様な、いろいろな事象を、言葉への対応の中で、言葉に直す作業がなされます。本物の紳士と、詐欺師を区別する事は出来ます。


ですから、私たちは、

この3つの判定方で、現実を認識する必要があります。

彦坂尚嘉のやっているのは、その内の1/3の《言語判定法》だけなのです。ですからその不十分さはありますので、ご了承ください。 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

私たちは、普通、言語というものを、コミュニケーションの道具と考えています。

 

しかし言語にはもうひとつ別の機能があって、

それは言語によって、人間が自らの環境を認識しているという、

認識の機能です。

 

エスキモーは雪の言葉をたくさん持っていて、

雪の変化を、非常に細かく精密に捉えることができます。


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こういう言語論は宮岡伯人などの少数言語学者から私が影響を受けて、学んだものです。私の《言語判定法》というのは、こうした言語の認識機能を使って、物事を認識し、判断しようというものです。

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《言語判定法》をつかって、いろいろな判断をしていますが、

『アートの格付け』もそのひとつです。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

《言語判定法》そのものを学んだのは、発端は1974年まで遡ります。その当時、六本木にある小さな印刷屋の営業兼編集の仕事をしていましたが、公官庁の入札を毎日20本くらいしていました。紙代や印刷費を計算して見積もるのですが、何しろ数が多いのと、必ずしも自分の印刷屋で取れるものでないものもあるので、細かい計算をしないで値踏みで入札する必要がありました。そこで値踏みの方法として、《言語判定法》を使いました。つまりその仕事が50万円なのか、100万円なのか、1000万円なのかを、数字を、対象物に向かって発して、そのこだまを受信すると言う方法です。


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 『アートの格付け』というのは、こうした値踏みの方法と経験を拡大したものです。

 

 《言語判定法》を美術に最初に適応したのは、東京国立近代美術館1995年に『絵画唯一なるもの』という展覧会が開催されていて、その中のゲハルト・リヒターの作品を鑑賞していて、判断に困ったときです。リヒターについては、実は印刷画像で、かなりの詳細な分析をしていたのですが、実物を前にして、どうしても良い作品に見えなかったのです。特に具象画は、評価できなくて、困りました。何回も会場を回って見て,8回目に根を上げて、判断を進める方法として、言葉を投げかけて、こだまを取るという《言語判定法》を実行したのです。その結果、『つくりもの』という言葉がフィットしたのです。リヒターの作品は、「つくりもの」であるというのです。

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『アートの格付け』を初めてしたのは、韓国で開かれたアートフェアでありました。そこに東京画廊から日本人作家が何人か出品していて、私や弘田一成、そして富田瑞穂といった作家たちがソウルに行きました。困ったのは弘田一成の作品の評価でした。日本側の評価は高かったのですが、韓国側は弘田一成の作品を評価しなかったのです。その落差に興味を持った私が、それを明らかにしたくて、弘田一成の作品を、『格付け』をする事を思いついて、やったところ、《8流》という風に出ました。


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8流》とは何か? とおもって、会場の韓国側の作品を同じように『アートの格付け』をして行くと、伝統的な水墨画が、《8流》でありました。日本に帰って、《8流》を探した所、武満徹でした。

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もうひとつ私の大好きな黒人音楽Pファンクでした。こうした事例を探して行く中で、《8流》というのは《第8次元 信仰領域》であるという内容の推察ができるようになりました。つまり良いと信じている人には、良く思えるのですが、良いと信じられない人には、良く無く思えるという領域です。

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《第8次元 信仰領域》というのは、つまり一般的にいうとマイナーな表現の領域です。これは《第6次元 自然領域》の倒錯領域です。絵画でいうと、《第6次元自然領域》の絵画が原始平面に描かれた『ペンキ絵』でありますが、《第8次元》の絵画も、同様に『ペンキ絵』ですが、奇妙に薄暗くて、明度や彩度の差の少ない絵が多く見られます。

 

こうして『アートの格付け』は、多くの作品を芸術分析する中で、次第の構造として理解できるようになったのです。

 

さて人間の顔の分析ですが、これは一人の人間の顔を、一枚の絵画であるかのように見立てて、《言語判定法》による芸術分析をしたものです。

それは柄谷行人や吉本隆明を長い間、つまり30年近く読んで来て、それが思想としては弱く低いものであると知って失望した経験を背景にしています。本を読むのは時間がかかるので、先に顔を分析して、読むに値する人物かどうかを判断してから、読もうという、そういうショートカット手法です。


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《第41次元》というのは、《超1流》の《超次元》の反転した領域です。これについても、すでに何回か書いているのですが、戦争とか、生け贄、処刑といった、ひどい状態のものが、《41流》です。


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美術作品で言うと、運慶快慶の東大仁王像などの、憤怒の仏像です。西洋ではグリューネヴァルドのキリストの十字架での処刑図などです。


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言語判定法の変化/小沢一郎の顔 [言語判定法]

ブログのコメントでもいただいている

言語判定法の変化を、小沢の顔で、

確認しておこうと思う。

まず、古い形式のものです。

ヒコ 

 

小沢一郎の顔も、私の言語判定法で見ると、

〈41流〉だ。

〈41流〉の〈超1流〉〈超1流〉

さらに判定すれば、
〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の3界を持っている。
3つを同時表示している顔は、
それほどいない。
小泉純一郎前首相も、3界同時表示の顔を持っていた。

さらに分析すると、
小泉純一郎の顔は、《固体》で、
つまり《前ー近代》の精神の人だった。

それに対して小沢一郎は、
《液体》の顔で、
つまり《近代》の精神の人だ..

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今やっている、新しいスタイルは、分析がもっと細かくなっています。

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《想像界》の眼で《第41次元》〜《超次元》の《真性の人格》
《象徴界》の眼で《超次元》〜《第6次元》の《真性の人格》
    《象徴界》の《第7次元》〜《第41次元》が無い。
《現実界》の眼で《第41次元》〜《超次元》の《真性の人格》

《想像界》《象徴界》《現実界》の3界をもつ重層的な人格
液体人間(近代人)の人格。固体/気体人間性を欠いている。

シリアス人間》《ハイアート的人間》

シニフィアン(記号表現)的人間。
シニフィエ(記号内容)的人間ではない。

「真実の人」
『平気でうそをつく人』ではない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《言語判定法》での分析が、3界ごとになっていること。
さらに《超次元》〜《第41次元》までの全領域の有無を、
見ている事。

と言うわけで、より細かくなっています。
細かくなる事で、現実把握が、具体的になったと思います。

 

ヒコ 

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